orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

若かりし頃の「緊張」は、どのように解決したのかを思い出す

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若いころは「緊張」は最大の人生の障壁だったのだけど、いつの間にか遠くの方で自分を見てくれる存在になったように思う。特に本番システムを触るとか、車の運転をするとか、何か大事な局面の時にはやってきてくれて、むしろ集中力を高めてくれる。そのあとドッと疲れるのはお約束ではあるが。緊張のおかげで品質は向上するのは間違いない。緊張が無ければ、きっと大事になるようなミスをどこかでやってしまうに違いない、という実感はある。

こんなことを書いていると「うらやましい」と思われるかもしれない。それほど「緊張」はコントロールできない存在だった。緊張のおかげで普段の力が出ない。おぼえていたことが思い出せない。ド忘れする。若いうちは緊張なんて無くなればと思っていた。聞いた話では、緊張をほぐすためにお酒を飲んで舞台に出る人もいたとか。しかしやはり、人間は緊張感を失くすと、抜けがでるものである。緊張とは、突き放すのではなく、むしろ利用するぐらいの存在と捉えるべきだ。

なぜあの緊張地獄から逃れられたのだろう。自分なりに思い出すとこうだ。

 

(緊張に飲まれていたあの頃)

・とにかくうまくやりたかった。
・成功した結果がとても欲しかった。
・誰かに期待されていてそれに応えないと失望させると思った。

 

(緊張をコントロールできる今)

・緊張しようがしまいが、自分にできることはもう決まっているという思いがある。
・成功も失敗も、自分の実力だから受け入れて、ベストを尽くそうと思う。
・人の期待に対してではなく、自分の期待に応えたい。

 

人生経験が積み重なることで、あまり現実に対しては望みは小さい。むしろ成功は天からの恵みであり、自分が為すこと以上に運要素が絡んでいる。むしろ何を選択するかのほうが重要で、緊張して為すときはほぼ結果は決まっている。ただ、何が起こるかはわからないのでしっかり目を見開き、その結果を見届けてやろう。そんな心持ちだ。

また、誰かの期待で動くのではなく、自分の自分に対する期待で考えている。自分への期待値は多分若い時よりも今の方が低いのではないか。なぜなら、いろんな失敗をして、万能感がなくなっているから。誰でも生まれついたときは万能感があって、しかし自分にはいろいろと備わっていないことを痛感し、だんだんと自己像は現実を認識していく。ただ、最近流行の自己肯定感が低いと、この自分への期待が過度に低くなる。そしてそれを環境のせいにして行き詰まってしまう。だから、失敗を受け入れつつも成功も受け入れる。両方受け入れて、自分に対しては、自分が楽しい、と思うことをさせるようにしている。楽しい・面白いと言ったポジティブな感情は、行動を積極的にするししかも結果も良い。失敗すら楽しめて、いつか成功し、自分を作っていくような気がしている。

おそらく緊張が強かった幼少期は、自分に何をさせるか、自分が何を選択するかについてとても外部要因が強かった。親のためとか周りのためとか、いろんな因子が自分を緊張に閉じ込めていたように思う。今は選択は自分でできるという自負はある。それは失敗するかもしれないが、成功するかもしれない。でも自分で選んだので、うまく行ったら自分の力だと思える。

今は緊張は、「ここが大事なポイントだ」と教えてくれるトリガーのようなものになっている。自分が自分に対して、この場面はうまくやるべきだ、全神経を集中しよう、と教えてくれている。自分への期待と自分への信頼感のバランスがこの年になってやっと取れたので、緊張をむしろ利用できるようになったと思える。

緊張のために本番で実力を出せない、という悩みがある人は、経験を積めばいずれ解決するんだということを伝えたい。そして、緊張が自分の行動を阻害する場合は、なぜに自分がそこまで成功しなければいけないという思いにおびえるのかを考えて欲しい。それが緊張におびえる日々からの解放の鍵であると考える。