orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

運用エンジニアがコロナ対策を考える

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3回目の緊急事態宣言発動で、言論も盛り上がってますね。

 

お金を配れ、という意見に対しては私はこう思ってます。

→お金を配って、ステイホームや休業が効果的に発動したとしても、どうせほっとけばまた感染拡大するので、何度もお金配ることが非現実的であることを考えると、二度目をやる意味はない。むしろ一度やって無意味であることが証明された感じ。

→だいたい、配るお金も税金なので、結局配られることと、税金を取られることは一体。政府に無限の財布があるわけではないので、行って来いになる。

→赤字国債の乱発という意見もあるが、無尽蔵に借金を作ると円の価値が暴落して、それこそ経済危機のトリガーになり日本の信用は大暴落し、日本人に大きな被害が出る。無意味な上にリスクあり。

 

ということで、お金を配る以前に、なぜ緊急事態宣言を発するに至ったのかを考えます。それは、政府が、明らかに放置しておくと大変になるという情報を入手しているからですね。それは、大阪で、東京で感染者数が何人、と言う情報ではないと思うんですね。明らかに外国と比べると日本は人数が少ないです。もっと増えたとしても外国は外国で日々運用しているので、多分、監視パラメータとしては感染者数って微妙な気がするんです。

システム運用をやっていると、障害が発生してから対応しているようじゃ遅くて、障害に至るまでに予兆を発見し、発現する前に何とかしなければなりません。予兆も何もなく突然訪れるものについては、それこそ冗長化しておいて、問題が起こっても大丈夫、と言う風に設計しておくのが筋です。

日本というシステムにおいて、コロナウイルスによって社会が混乱に陥れられることがシステム障害だと例えると、今の緊急事態宣言というのはアドミニストレーター(管理者)による予兆対応と言えると思います。もしくは、既に障害が一部で起きていて、このまま放置すると二次障害が起こりとんでもないことが起こるということ。

 

で、今の緊急事態宣言に疑問符が付いているのが、以下の二点だと思います。

→緊急事態宣言に値するほどの状況なのか?、予兆でも障害でもないんじゃないか。ほとんどの国民に危機感を裏付けるほどの切迫感がない。かかっても大丈夫なんじゃないか。一部の高齢者や、基礎疾患のある人が騒いでいるだけじゃないか。

→政府が求める国民への行動制限が、正しいのかわからない。無駄なことをやっているんじゃないか。

つまり、だんだんと、私たちは何を恐れているのか、ということがぼやけてきています。また、恐れていることそのものより対策の方が悪影響が大きいと感じ始めている人が多い、ということです。

 

話を戻すと、これをシステム障害だとあくまでも例えるなら、以下をはっきりさせるべきです。

→システム障害の内容を確定させる。政府は感染者数をあくまでもベンチマークにしているが、大多数の国民が「私には関係ない」「知らない誰かがかかっている」という実感が多い。もっと具体的に、この問題を放置した時何が起こるかをもっとシミュレートし、明らかにする。国民へのプレゼンテーションが少ない。多分、政府はもっと知っている。専門家と国民の橋渡しができるような、プレゼンテーションの専門家をもっと活用し、国民の啓蒙を活発化させる。むしろお金を配るより、こういったことにお金を使った方がけん制が進む。

→ベンチマークを変える。感染者数のグラフはわかりやすいが、実際の被害はわかりづらい。死者数や重症者数という話もあるが、人はコロナじゃなくてもいつかは死ぬ。予兆を数値化するのであれば、おそらく検査の拡充が必要。インドでは毎日の感染者数が30万人という声もあるが、そもそも日本で30万件を検出すらできない。国民も検査数が足りないことを知っている。病床のひっ迫率もよく検討されるが、それなら病床を増やせばいいという議論にしかなっていない。我々は何を恐れ、いくつになったらシステム障害となる状態になるのだろうか。

 

何かわけのわからない恐れに対し、何かわけのわからない数字を出され、何かわけのわからない対策をさせられている、そんな状況が今起きているのではないかと思う次第です。

恐れを確定する。ベンチマークを確定する。対策を確定する。それぞれにおいて、実はシステム障害への対策を考えるシステム運用者の思考と似ています。今後の議論が進むことを期待します。