orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

させていただく症候群がひどい

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今日、「させていただく」という言葉を百回以上聞いた気がする。

いろんな会議に出る必要があって、スピーカーの言葉を聞いていたけど、何しろ「させていただく」祭り。以前から「させていただく」が社会で濫用されていると気が付いていたけど今日は特にそれを痛感した。

そもそも、使っている主体が、単に一般市民だけではなく、かなりのお偉方(大企業で経営会議に出るレベル)の人たちにも、させていただく症候群が広がっている。テレビを見ていても口々にさせていただくの連呼。

させて - いただく、だから主語は自分だ。じぶんがする、を、させていただく、つまり誰かの了承を得て、失礼しながら実行する、という意味を含んでいるらしい。主体的に動く時に誰かの許しがいるのだろうか。

何しろ、どこにいてもさせて頂く祭りだ。

しかも困ったことに、この前私がスピーカーである場面がある会議であったのだが、自分の口から、このさせていただくが自然に出てきてしまうのだ。否、わたしは、させていただく、が嫌いなので言いたくない。でもさせていただく、と言わずには居られない自分自身にがくぜんとした。

困ったものだ。なぜ、「しました」、と言えないのか。

ここからは私見だが、自分の行動に対するフィードバックがSNSの発達で返りやすくなり、「自分には悪気が無いのだ」ということを前に押し出さないといけなくなったのが一因なのではないか。自信満々で発言したり行動したりすると、「マウントしている」「ドヤ顔」「調子乗ってる」と言われかねない。いや、自分はもう、申し訳なく、周りに気を使いながら・・・させて頂く。そう、このニュアンスが世間にまんえんしているのではないか。

と思うくらい、偉い人まで、させていただいているようだ。

偉い人だって、社会からSNSでタコ殴りにされたら、痛いのだ。痛い目に遭いたくない防衛本能が、させていただくの連呼につながっているのではないか。そう考えると、問題の根っこは深くて、社会病理的な話のようにも思う。

もっと言えば、私はブログを書かせていただいている、ということになる。

それはおかしいよね?。

自由意思で書いているし、読む人も書く人も自由なはずだ。

でも、やっぱり記事が何らかの理由でバズったりすると、いろんな意見が寄せられその中には全否定的なものも散見されたりして、心はやっぱり痛い。

痛いのは嫌だから、みんな、させていただくのだ。

本当にこんなのでいいのだろうか。

させていただく症候群、これは自分まで罹患している大きな問題だ。

私はさせていただくのではない。

私はするのだ。