ネットがつまらない、テレビがつまらない、音楽が映画がマンガがうんぬんかんぬんという話は、総合するとコンテンツがつまらないということになると思います。
ま、このブログもつまらないことの一端を担っているのかもしれませんが。
さて、この現象、薄々感じていたのですがおそらくこういうことではないかと。
ネット社会のおかげで情報の伝達スピードは高速になりました。例えば昔は漫画家が漫画を描いてから原稿を印刷所に届け、それが流通するまでけっこうな時間がかかったものですが今やデジタル化されていますから出来上がった当日に配信すらできます。
アウトプットしたものがすぐに露出されることで、コンテンツ自体の量が増えるとともに量が増えるために値段はどんどん安くなり、今やサブスクリプションの登場でコンテンツの単位あたりの価格は劇的に下がりました。
また、モバイルの進化でどこにいてもコンテンツが消費できるようになり、今電車になるとわかりますがほとんどの人がスマホをにらめっこです。何を見ているのかはわかりませんがとにかくコンテンツを消費することに費やす時間が増えている。
コンテンツが生まれる量が増え、手に入れるための価格が下落し、そして消費するスピードも段違いに上がった、そんな状況が生まれたのが昨今のコンテンツとその周辺の状況です。
そしてこのコロナ禍で、コンテンツを生み出すことに相当な制約が生まれました。これまでの日常を描いた作品は「昔」を表す作品となってしまいました。ほとんどの作品は「去年まではそうだった」と思って消費しないといけません。そう割り切って作り手が作品を作るのは自由ですが、それは作り手にとってなかなか大変な前提条件です。また、作り手がいろんなことを経験する場面もイベントの中止や新型コロナ感染拡大対策で減少していますから、新しいものを生み出すことにボトルネックが生じているのは間違いありません。
一方で、コンテンツを消費する立場はどうでしょう。テレワークやリモート授業が増えたことや、ステイホームの推奨、イベントが軒並み中止になったことで、むしろコンテンツ消費の時間は増えました。
消費が加速しているのに生産は滞っている。ということは、いずれ新しいコンテンツの生産量と、消費能力にギャップが出てきます。簡単に言えば「もっと消費したいのにおもしろいコンテンツがない」という状況に陥ることとなります。
・・・というのが今現在起こっていることなのでは、と考えています。
面白いものが見つからないのは、去年までは消費スピードに生産が追い付いていたからではないか、ということです。一方で今年は、去年まで生み出されたコンテンツが「過去のもの」になってしまい、現状を反映したコンテンツはまだまだこれから生産するしかないのですが、数が足りません。
去年までの風景は、あたかも「異世界もの」のように見えます。思い出の中の風景のようです。これから生み出されるコンテンツはもちろん今を反映したものになるはずですが、この状況で、全員が共感することのできる作品を作るには、まだまだ時間が足りないと思うのです。
つまらないと断じて、消費することすらあきらめてしまうのは簡単なのですが、ちょっと「忍耐強く待つ必要がある」と感じています。
皆さん、我々の勝利に信念を持って、忍耐強く待つことが大事だ。ありがとう。ありがとう。
バイデン氏が今回の選挙で勝てるかどうかは薄氷の状況ですが、今日はこの言葉が私に響きました。今は、信念を持って、忍耐強く待つことが大事な時期だと本当に思います。今日結果が出なくたって、来月には、来年には状況が変わるかもしれない。
今は待つことが大事、な時期なのだと私も思います。