orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

人々の群れを後ろから眺める

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人間には、多数がある方向に向かったときに、自分自身も乗り遅れたくないと思う性質があるようだ。私も生きてきて何度か見たことがあるが、確かに集団行動などをすると群れだって動こうとする。

一方で、私自身はその機能が確実に欠損しているようで、集団行動にあたっても必ず単独行動を取ろうとしてしまう。絵的にみるとポツンというかぼっちというか、社会的に言えば弱者と取られる可能性のあるポジションにわざと向かってしまう。

これは子供のときからそうだった気がしていて、何しろ少人数でのグループ行動までしか許容できなくて、5人を超えるともう無理だった。一人でいたいというよりは、数人でいたい。それ以上の集団に溶け込むこと自体が、可能不可能で言えば可能だけど、疲れるから消極的になっていた。

最近だと、SNSができて、完全に社会が見える化した。フォロワーが多い方が価値のある人。いいねをたくさんもらえるとたくさんの人に共感を得る発言できる。

人は、多数に居たい、という欲求から、インフルエンサーの近くに行きたいという人は積極的にフォローし発言をチェックし、自分もその意見や価値観をまとっていようとする。

もしくは逆もある。何しろインフルエンサーに対して反論する。賛同でも反論でも参加していることと同義と考える。群れの中に入っていこうとする。

私のような、後ろから見ている人間からすれば、大きく賛同しようが大きく対立しようが、どっちでも同じだ。遠くの方でたくさんの人がガヤガヤしている。そのガヤガヤにできるだけ巻き込まれないように、誰も気が付かないような裏の建物のベンチで、座ってぼんやり人と違うことを考えているような立場が好きだった。

まあでも、世間一般には、大衆の中でフロントにいる、例えばアイドルのような人たちに憧れる人がいるのも理解していて、普通一般の人々はそのポジションを争って勝っただ負けただやっているんだろうなと思い、自分の参加しないと社会的にはぼっちになるのかな。そんな不安も若い間は相当強く、自分を偽ることだってたまにあったような気はするがうまく行った試しがないのはもう過去の話だ。

できれば、離れ小島で空と海でも眺めながら、自由な発想で、大衆には思いつかないような画期的な方法で世間のマジョリティーの競争とは全く別のニッチの部分で存在感を発揮していけたらいいな、なんて思うことはビジョンとしてはあった。でも、それって普通に競争に参加する方がシナリオがわかりやすい分楽だと思った。勝ち負けの基準もわかりやすい。

しかし結果としては、そのビジョン通りの現実に向かっているように思う。どんなに人と異なっても、ユニークでも、貫くべきだと思った。ただ回り道したからこそその道にもつながったように見えるので、若いころにいろいろ試行錯誤して失敗したことは、一つも無駄にはなっていないが、一つもなっていないのが逆に怖い。無駄打ちのような気もしていたし、袋小路になるかもという思いもあったが、そんなことには、結果として、ならなかった。

こんな文を書けるのも四十数年生きて来たからだと思うし、若い人に言いたいのは、やっぱり若い時の苦労はこの先の財産だということ。誰かが苦労は借金してでもやった方が良いと言って、ブラック企業の社長が搾取するために若者を騙す言葉として揶揄されることもあるけれど、やっぱり苦労の中、身に着けたことと言うのは一生を左右するほどの経験となっている。

未だ持って私の中に欠損している、集団の中で多数派でいたいという欲求に関して、もうないものを希求しても与えられるはずはない。それならば、最も自分にあった道をまっすぐ進む方がいいのだけど、ほとんどの人から見て「ああまたあの人道逸れてるよ」っていう空気は無視しなければいけない宿命も背負っている。

それでもいいか、そう思えたのはここ数年のことなので、もし仮に同じことで困っている若い人がいたら、そうだね、四十代くらいで楽になるかもよと声をかけてあげたい。