orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

宗教とは何だったのか

f:id:orangeitems:20200906000500j:plain

 

宗教が急速にしぼんでいるという話。

 

gendai.ismedia.jp

今、宗教の世界は大変なことになっている。

日本を含め、先進国においては、宗教は捨てられようとしている。信者が激減し、危機的な事態に陥っているのだ。

日本の宗教団体の信者数は、文化庁が公表している『宗教年鑑』に記載されている。これは、それぞれの宗教法人の報告した数をそのまま載せたもので、果たして実態を反映したものであるかどうかが問題にもなるのだが、そうした表向きの数字を見ただけでも、宗教が捨てられようとしている実態は十分に明らかになってくる。

 

これは大変重要な問題提起であると思う。

私の記憶を辿っても、宗教は常に「そば」にいた。実家は仏教で仏壇があり、毎月お経を読みにお坊さんが来ていた。高校、大学はキリスト教系の学校だった。何しろ隣に宗教はいた。大学のサークルには創価学会の家庭で育った子がいて同級生だったが、特に勧誘などもされず、とても楽しい人だった。私のそばにはいつも宗教はいた。

しかし、この宗教、全く意味がわからなかった。

私も人並みに、いや人並み以上に悩み多き青年だったので、救いは必要だった。しかし他人への警戒心も人一倍強かったので、本に向かった。人生とは何なのか。どうすればいいのか。どう考えればいいのか。どう感じるべきなのか。

そんな迷える子羊は、まず宗教を手に取る。その次に哲学に行き、そして心理学に辿りつき、大学は心理学科へ向かうことになる。

そもそもあんなに周りに宗教があったのに、なぜ心理学になるのかというと、わかったからだ、意味が。心理学は意味が分かった。哲学はちょっとだけわかった。宗教はわからなかった。

意味がわからなければ、受容のしようがない。

多分、戦国時代に、種子島にザビエルがたどり着いたとき、ザビエルは言葉も通じないのに住民に、超わかりやすくキリスト教を伝えたのだと思う。ザビエルはきっと、コミュニケーション能力が超高かったんだと思う。きっと、役に立つことを含んでいるキリスト教のその大事な部分を、住民に伝えることができた。

広がった宗教はきっとコアの部分は相当わかりやすく、伝播しやすいようになっているんだろうけれど、時代とともにこねくりまわされ、本になったそれはとても、初めの伝染力を失ってしまったのではないか。

と思うくらい、宗教はわからなかったし、私の救いを受容できるほどの力がなかった。

個人の感想なのでそれまでだが、もし私だけがそうなら、今、宗教が捨てられるなんていう話題にはなっていないのではないか。

宗教が維持するためのコミュニケーションルートはきっと親子関係や家族だと思うが、それが断絶しているのかもしれない。本に書いてあることは難しすぎてわからないけど、家族が説明してくれるからわかったとか。

でも、救いが必要な人って、だいたい家族とうまくいってないからね。

そのうち、私の救いが必要な時代は終わったけど、社会では宗教絡みでいろいろと問題が発生し、いよいよ、宗教とは縁遠くなった。とくに都会で生活をしていると、宗教は遠い。

音楽や絵画など、いろんな分野が宗教をよりどころに発展した時代があることを知る。それぐらい、宗教とはメディアだったのだろう。YouTubeやTwitter、Facebookぐらいに、影響があったのだろう。いわゆるプラットフォーマーだったのだろう。

多分、宗教が力を持っていたときの、その宗教とは、多分頭で理解するものではなく参加するものだったのではないか。

宗教というワールドに入り、そこで出会う人とのソーシャルを通じて、いろんな作品が生まれ世界観が発展していったのではないか。今でも、プラットフォームとしての宗教はあるし、この前、ローマ法王が東京に来た時にはかなりの人が東京ドームに行ったのをおぼえている。

ただ、もはやSNSが宗教と同じような意味を持ち始めているような気もしている。徹底的にわかりやすいからだ。SNSは自分の波長と合う人を集めてくれる。予想以上に、SNSとは宗教と似ているのかもしれない。

おそらく、私の心を宗教が何らかの形で満たしてくれることは、今後も無さそうだ。一方で、傍らで、宗教は存在し続けるのも間違いないように思う。そこに何があるのか今もって理解できないけれどそこには居続けるのだ。

もっと、宗教、わかりやすくなってほしいな、そう思ってからもう30年弱経過した。

宗教の意義はおそらくいつも存在し、あとはコミュニケーション能力の高い誰かが現れるのを待っているだけのように思うが、まだ現れていないんだろうな、とも、思う。いつか、どこかでその時が来るのかもしれないし、来ないのかもしれない。