orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「若いうちの苦労は買ってでもしろ」の解釈について

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「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と言う言葉における、若いうち、というのはどの程度の年齢なのでしょうか。40代の私から見ると10~20代かなと思います。高齢の方から見れば40代すらまだまだ若いと言われる始末で、まあ上からマウントを取るときの言葉としても使われがちかと思います。まあこの言葉、そのまま本当に若い人に今使ったら、結構痛い言葉かなとも思います。感覚的には。お前苦労足りないぞ歳取ってから苦労すんぞ、みたいな話をする先輩には、私は若いときうるせえと思っていました多分。

ただし、この言葉、冷静に自分事として考えると結構いいことも言っています。ポジティブにも捉えることはできます。

若いうちの苦労を推奨するのは、別に年齢を数えたら苦労しなくなるということを言ってはいません。いや、四十代でも普通に苦労はしますし若いときよりも問題は高度です。でも何が違うって、失敗したときのダメージが半端ないんです。責任も大きくなっていますし助けてくれる先輩も皆無。この年齢になると自立/自律が求められ、仮に自分でできないことも、できる誰かに調整してお願いすることまで仕事になっています。できません、なんて禁句で、とにかくどうにかしてやり遂げることを期待されています。苦労のレベルが違います。

一方で若い時の苦労って、どうせ指示をぶん投げる人も全部できるとは思っていないので、失敗してもリカバリーできるようにしています。あまり責任がないからこそ、いろいろと試行錯誤できる。失敗が許される。そんな状態の苦労なら、たくさんやっていいでしょ、という意味かと思っています。

きちんと、年長者が道筋をつけてくれた上で、安心して苦労しなさいよ、そんな経験ができるなら、買ってでもやったほうがいいよ、ということです。

別に、借金背負えだの、違法な労働環境で酷使されよとか、そういう意味では全くありません。そうだとすれば意味が通りません。繰り返しますが、若かろうがそうでなかろうが、苦労はするんです。しかし若いときにチャレンジし、失敗したとしてもそれは学びが残ります。いざ、本当に勝負しなければいけない苦労がやってきたとき、そういった学びが自分を助けてくれるよ、ということです。

四十代の私でも、もっと年長の方から見ればまだまだ若くて、もっと苦労しておけよ、とおっしゃられるかもしれません。人生とはそういうことの連続だろうなと思います。命を懸けてまでやることなんて何一つない。苦労するのなら成功前提で。失敗を前提とする苦労なんて精一杯逃げるべきです。

人間の心って、自分が思っているほどは強くないので、苦労は学びにつながるとはいえ、限度があることは自覚すべきです。様々な苦労のために心が傷つき、いろんなことに回避的な行動を取るようになることもあります。万が一そういう目に遭った場合は、これは時間に任せた方がよいです。心が落ち着くまで逃げてよいと思います。そして退屈になり、また挑戦したくなったら、その思いに任せて少しだけ苦労を増やしていけばいいのではないか、と思います。

私自身も、若いときは相当な無知のために、やらなくていい苦労をやって、そこから学びもありましたが傷つきも相当ありました。なんとかやり過ごし、それらで得たことを学びに変えることはできましたが、単に運が良かっただけで、何でもかんでも苦労にむかって突き進むのは万人にはお勧めできないなあと思います。結構傷だらけのボロボロになりながらも、HPは0にはならずゲームが継続できた、ぐらいな感覚です。

ですから「若いうちの苦労は買ってでもしろ」というのは、ポジティブな意味を持ちながらも結構危険な言葉であり、解釈を正しく、そして慎重に臨まないといけないと今は思います。