orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

文化の退化はもう始まっているのかもしれない

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家族に今日言われたことでなるほどなと思ったこと。

私の家のゲーム機はNintendo Switchなのですが面白いゲームがないということで、子供のリクエストでWii Uを押し入れの奥から引っ張り出してきました。Wii UはWiiとの互換性もあるので、子供は今はもっぱらWiiのソフトで遊んでいるようです。

そうしたらこう言うんです。

「今のゲームよりもものすごくよくできているし、こんなに面白いソフトは新作として発売されない。今のSwitchのゲームはグラフィックもしょぼいし、日本語も変。一本のソフトとしてのボリュームも不足している。ゴミのようなソフトがたくさん発売され、何が面白いのか選ぶこともできない。ほとんどがゴミだから。それより、昔のWiiのソフトのように、高くてもいいからたくさんの人手を使って本数を限ってもいいから面白いソフトが出て欲しい。」

結構立派な意見で、大いに納得しました。確かに今のSwitchのゲームは量的には過去のWii/Wii Uの時の何十倍の本数がリリースされます。しかし、ほとんどがUnityなどで作られたマルチプラットフォームのインディーズゲームがたくさんリリースされるようになりました。Wii UのときよりもSwitchのときのほうが明らかにビジネスは好転しているので、戦略としては成功していると思われます。

しかし、「コストをかけて一本のゲームに大量投資し勝負する」というビジネスはどんどんやらなくなっているのではないか、と思いました。Switchに出ている任天堂の大型ゲームは、Wii U時代のリメイクも多いです。完全新作で大型ゲームは数が少ない印象です。一方、ビジネスにおいては、できるだけ原価を低減したうえで、販売数を増やして売上を向上させるのは常とう手段です。Unityなどの共通開発基盤でゲームを量産すると生産性が上がります。いろんなマルチプラットフォームで売れるし、開発者も楽です。そうやってゲーム本数だけはどんどん増え、ゲームをリリースすることに対してリスクが低減しました。

この、「生産性向上」のあまり、どんどんゲーム自体はつまらなくなっていっているとしたらどうでしょうか。モノづくりの観点から言うと、退化なのかもしれない、と思いました。

作る側も食べていかなければいけないので、生産性は向上させないといけないし、マーケットを拡大しなければいけない。自プラットフォームの開発者の人数も増やしたいが、それも共通プラットフォームならリスクがない。

その理屈でたくさんのゲームが低価格で作れるようになったのですが、一方で、クソゲーが低価格でリリースできる生産性まで手に入れてしまった。

その結果、悪貨がたくさんでまわることになり、良貨が見えづらくなってしまう。

結果として、ゲーム体験はどんどん退化しているのではないか。

さらに家族はこう言うんです。

「服もそう。安い服屋さんは増えたんだけど、長持ちしない。ぺらっぺらの服ばっかり。安いんだけど。種類もたくさんあるんだけど。どれ選ぼうがぺらっぺら。それより高くてもいいからしっかりとした服が買いたい。でも売ってない。」

この、デフレ型の現象というか、安ければいい、製造コストを極限まで下げる、ということが流行し過ぎたために、本当にいいものを作るということ、またその成果物が、安物に埋もれていく。

この前の都知事選でも感じました。絶対受からないような泡沫候補がたくさん出すぎて、本当に被選挙人として政治家として立っている人がどれだけいたのかわからない。

だんだんと見えてきたのが、この生産性・利益性重視の市場原理が、面白いことをどんどん削っていく世の中です。このまま放っておくと、最後はいいものが全くでなくなり、安く作ったもので世の中が溢れかえってしまうのではないか。それは、退化なのではないか。そしてもはや、それは「本物」を駆逐し始めているのではないか。

高くても良いものを買い、長く使う。私は本物志向が流行することを待ち望んでいます。