orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

外出自粛で我々が失っていることの正体

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もう、ずっと家にいます。

意外と私はこの環境に耐性があるほうなのですが、それは趣味も仕事もオンラインであり、場所を選ばないのが幸いしているのかもしれません。また、性格的にもそんなに社交的ではないし、アウトドア派でもありません。

さて、今は「自粛」ですが未来には、世界標準の「ロックダウン」がやってきてもおかしくありません。ツイッターを見ていると相変わらず通勤ラッシュはあるようで、日本はまだ緩いなという印象しかありません。この状況で止まればいいのですが、ちょっと前の楽観論はかき消されつつあるのは間違いありません。

 

さて、この状況で人々が失っているのは何でしょうか。人により失っていることの大小があるのは間違いないと認識できるのですが、それはどう名前を付ければいいのでしょうか。

失われたのは「コト消費」なんだと思います。

 

www.businessinsider.jp

モノ消費よりもコト消費を好むミレニアル世代の消費行動は、正しいお金の使い方なのかもしれない。
お金の専門家、ジーン・チャッツキー(Jean Chatzky)氏によると、体験にお金を使う方がその見返りは長続きし、中身のあるものになるという。
体験は思い出や期待感を生むだけでなく、他者を巻き込んだり、からだを動かすことにもつながる。これらはいずれも幸福度を増すものだと、チャッツキー氏はいう。

 

この記事が、今、我々が失っていることそのものを言い当てています。

体験、を全て禁じられてしまったのです。家の中でできることしかできない。これは体験の機会を大幅に消失します。

イベントが全てなくなるので、スケジュールに何も書き込めなくなります。未来に対しての期待感が消失します。

他者と一緒にいることができなくなります。したがって幸福度が減ります。いくらオンラインでつながっても限界があります。会食したり飲み会をやったり。一緒に旅行にいったり。全て自粛です。

体験の禁止は、身体的な活動の抑止です。家の中に居てできる運動は限られます。スポーツジムでのクラスター化は有名な話となりました。

 

私たちは、「コト消費」を禁じられてしまったのです。

裏を返せば、「コト消費」関連の職業に携わっていた人たちが今、ピンチであるということです。至急、救済をしなければいけません。

 

ひるがえって。

今、大事なのは「モノ消費」を失わないことです。

 

jp.reuters.com

大統領は「人々の不要不急の移動を抑えることがわれわれの優先事項だが、同時にモノの流れを確保する必要がある。これはモノ不足を回避し、単一市場を可能な限り守る上で非常に重要だ」と強調した。

 

我々は生きることを継続しなければいけません。従って生きるためのモノは必要です。ヒトの動きはとめてもモノは止めてはいけない。モノを動かすためにヒトは最低限動かなければいけない。もちろん、ワクチンの一日も早い開発のためにもヒトは動き続けなければいけない。

コト消費を全部失ったあとで考えるべきことを、今世界は一生懸命考えているという理解をすることで考えが整理されます。

 

一方、このミレニアム世代が重視してきた「コト消費」。これを一切行わないことによる作用を改めて考える必要があります。

・体験ができない。だから、承認欲求を得られない。
・体験の計画ができないので、未来に希望が持てない。
・他者と一緒にいられないので、幸福度が下がる。
・身体を動かせないので、ストレスがたまる。

並べてみることによって、その深刻さがわかります。この外出自粛やテレワークの日々に違和感があるとすれば上記のどれか、または全てです。

これらのデメリットを考えないことで、しばらくは気を紛らわすことができるとは思いますが、海外のように数週間レベルのロックダウンを経験すると、きっと向き合わなければいけないはずです。

ロックダウンが明けたときのことをイメージし、家でできる準備をできるだけしておく以上のことは難しいでしょう。

一方で、EU大統領がおっしゃっているように、「ワクチンの一日も早い作成」「モノの流れの確保」に一生懸命携わっている方。また今も医療現場で戦ってらっしゃる方、マスクや医療用製品の製造にフル回転で携わっている方、そして専門家や政治家。いろんな方が事態の収拾のため日夜働いていらっしゃると思います。そういった方々に感謝しながら、この「コト消費」の断絶、を乗り越えていかなければいけないと思います。