orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

ありがとうございます、と言えない人に感じる残念感

 

仕事柄いろんな会社の方と一緒に作業をする機会があり勉強になる。世の中いろんな人がいる。この前であった人が何か極端だ。その方から依頼を頂いた後に、かなりの精度で作業を仕上げてご提示していた。何度か繰り返しているうちに大きな違和感に気が付いた。この方、依頼したことを実施し正確に打ち返したにもかかわらず、「ありがとう」がないのである。

そりゃ、キャッシュフロー的には依頼主から私にお金が流れているのであるが、だとしても頼んだことをやってもらえたら、ありがとう、と言えばいいのにな、と思った。

私も子供のときは幼稚で横柄で、人に何かやってもらっても「ありがとう」というのが苦手だった記憶もある。ただ、もう大人が共同作業をやっているのだ。何かやってもらったら言えばいいじゃない、ありがとう、って。

ありがとうと言うと何か減るのか。ありがたくもないのにありがとうというと、心が損をするのだろうか。あまりにも残念な思考だ。言うだけならタダなんだから、いくらでも言っておけばいいじゃない。

 

お金の流れは最後には起こるけど、関係者で集まって一つの目的を果たそうとしているのだから、自分起点で発生した仕事が他人によって完遂したときに感謝の気持ちを伝えることを、それぞれのメンバーが実施することによる効果は、かなり大きいんじゃないか、と思っている。

お互いに他人を助け合う姿勢は、別に主従関係など関係なく、例えば社長であっても部下には言うだろう。チームの精神状態におけるインフラのようなものだと思う。みんな仕事をきちんと仕上げると他人(特に依頼主)が感謝してくれることを前提に仕事をするのだ。そのインフラが揺らぐと、つまりありがとうと言わないことで、ギスギスし出す。それが個人対個人ならいいけれど、だんだん伝染して誰も言わなくなるともう手が付けられない。誰もありがとうと言わない職場なんて想像もできないけれど。そんなことが起きたらきっと、人がどんどんいなくなっていくだろうね。

 

ありがとうと言わない人に出会えて分かったけれど、ありがとう以外にも、ごめんなさいとか、承知しましたとか、いろいろあいさつはある。こういうのをムダだと言って省略する人がたまにいるけど、何が無駄なのかちゃんと考えたほうがいい。無駄じゃないこともあるから。価値のあるものをわざわざ削っているとしたら、やっぱり「もったいない」だね。せっかく手の中にある価値をわざわざ地面に捨てていっているのだから。

少なくとも、感謝しようよ。チームで仕事するんだから。誰か欠けると完成しないでしょ。自分一人で仕事が成り立っているのならまだしも、そんなことないでしょ。

何だか当たり前過ぎることを言っているのだけど、でも実際にいるからなあ。だから、こうやって書いておいて、もしかして同様の人がいたら目にするだけで、社会が少し良くなるのかもと思って書いている。あいさつしろ、ではなく、あいさつに潜む効能をもっと見極めて的確に使うようにしようね、ということだ。効率主義だからこそ、コストのかからないあいさつほど、ちゃんと使えればこんなに便利なものはないよ。