orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

趣味における、消費と創作の関係を考える

 

最近ネットを見ていて、「創作物を消費するのに心底飽きた」という記載を見つけ、確かに、と思った。現代は創作物にタッチするのが非常に簡単になっている。サブスクリプションの形を取れば時間の許す限り、提供コンテンツを楽しめる。そうでなくてもデジタル化によってお金を出せば手に入る。

 

消費することに飢えていたのは若い頃だ。手に入れれば必ず夢中になっていた。ただしお金はなかったので、何度も見返す始末。そのうちTSUTAYAみたいなレンタル屋ができて、アクセスは多少向上したが、その後のデジタル化には及ばない。このように、徐々に消費するための環境は向上してきた。

今の世の中は本当に便利なのに、もう40代も後半となってくると、この世の創作物はある程度のパターンを持っていることに気が付かされる。良い作品はどこか、過去の良い作品の影響を受けている。だからこそ、何となく若い頃の刺激と比べると物足りなくなる。良作とは言えど、既視感がある。

創作物の消費を他人よりも趣味に置いていた人は特に思うはずだ。これはもう、見尽くしたのかもしれない、と。たまにそれを裏切るような革新的な作品はあるが、そんなこと年に一度あるかないか。趣味と呼ぶには心もとない。

 

ここまでは消費の話。ここからは創作の話。自分の手から何か生み出しアウトプットするということ。私は興味あって、地域活動の場をうろうろすることがあるんだけど、なんでおじいさんおばあさんが、こんなに創作をするんだろうと不思議だったことがあった。写真展とか、クラフトワーク、音楽もあるし、本当にいろんなことをされている。ああ、定年後暇だからやってるのかなぐらいにしか思ってなかったけど、多分そうじゃない。きっと、消費側にまわっても前段の通り、楽しめないんじゃないかと思う。しかし、働いている間、子育ての間は創作にまで手が回らなかった。時間はあり、知識もあるから、自分が創作したらどうなんだろうか、と。

創作になると消費するのとは話が違う。あのパターンで、なんて思っても手が動かない。というより、消費できる形にするまでにするプロセスがこんなに複雑で、ロジカルなんだということに感動する。また、いろんな創作活動の方法はあるが、どれもこれも似たような重要パターンがあり、これまでの人生でつちかったことが応用できるのもまた、楽しい。

そう、消費と創作は、全くちがう楽しみでありつつ、相互に関係しあう。創作しているからこそ、また消費が楽しくなるということもある。例えばテニスをやったことがある人は、テニスの試合を見ることが楽しくなる。消費に飽きたのなら、創作にまわると今まで見えなかったものが見えだすのがポイントである。

 

このように、消費から完全に創作に切り替える、というのは実は違っていて、創作を取り入れることでさらに消費が楽しめるようになるということが今回の論である。全く創作をしたことがなくて、でも私には才能が無く‥なんて思う人は、ひとまず創作物に過度な期待をすることは止めて欲しい。すごいものができる必要なんてない。創作をするプロセスを体験することが、趣味を次のステージに引き上げてくれるということである。ぜひ、趣味を消費することに飽きてしまった実感がある人は、何か始めて欲しい。何にでも学びがあると思う。