orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

忙しい時期を乗り切った後は、絶対に反省が必要だ

 

忙しくない。

5月に入ってから、忙しいと100回くらい言った気がするが、突然暴風が止んだ気がする。忙しさの中で揉まれて、しかも1ヶ月続くと永遠にこの日々が続くんじゃないか・・と悲しくなったときもあったが、それは杞憂だった。

面白いものだな。たくさんの仕事が、ある期間にまとめてやってきて、そして過ぎ去ったら急に空白が残る。あれだけ渋滞していた仕事たちが、目の前に理路整然と並んでいる。誰がやってくれたんだ・・私か。忙しかったときの記憶って、短期記憶に頼るせいかなかなか詳細を思い出せない。

仕事同士が話し合って、1件ずつ定期的に来てくれたらどんなに楽か。しかし顧客はこちらの都合など知ったことではないから、偶然の一致でこういうことも起こる。忙しいのは、基本的には良いことである。仕事がちゃんとこなせるならば。

私の感覚だと、この忙しさのあとの静寂は一定期間続く。続くとだんだん、ずっとこのまま暇なんじゃないかと恐れだす。暇なときに何をするべきかがシステムエンジニアにとって最も重要だ、と言い出す。忙しくなってからは何もできないじゃないか、時間があるときに積み上げておかないと、いずれ自分の首を絞める、と。そういうことを言い出す自分が見える。

昔もそういうことを言ったことがあった。そういえば。

その時の状況との違いは、部下が増えたことだ。だからきっと、それなりにまた違う積み上げの仕方があると思う。将来に向けての種まき、を考えると、種の品種が変わる。

次来る忙しさの時は・・、より属人化しない形での仕事のやり方を考えていきたい。

忙しくなるとわかる、パワープレイというか、自分の能力を精一杯使い切って修羅場を乗り切るみたいな仕事の仕方が多く見られた。「属人化やんけ」とセルフ突っ込みしながら、やりきるわけである。

毎回思うが、それは私が存在することが前提でできるプロセスであり、それを恒常化させるのは自分でも危険だと思う。私や会社がどうこうより、顧客を危険な目に合わせたくはない。私じゃなくても他の人でもできるようにしたいという強い思い。

今、忙しかったのを乗り切ったのはいいとして、どうやって乗り越えたかをできるだけ細かく思い出したほうがいい。かなりの無茶はしたはずだ。その無茶が悪いのではなく、無茶をどうやればしなくて済むのか。次回からはもっとスマートにできないのか、忙しさが過ぎ去った後に、向かい合おう。

というのは、忙しかったことって、すぐ忘れるからだ。

あんなに大変だったのに、数日過ぎればすぐ忘れる。忘れてしまうと反省しないのだ。挙句の果てに「もうあんな忙しいことないから大丈夫でしょ」とか言い出すのが人間だなと思う。むしろ、暇になると、人の稼働が余り出す方を気にしだす。いや、まずは先のことより、ちょっと前のことを、頭がおぼえているうちに反省しましょう、だ。

 

・・と、やるべきことを整理してみたが、なんともパワープレイした後は休みたくなる。あんなにがんばったんだから、ちょっと休ませてくれ・・と。そうやってるうちに頭が忘れていって、ああ忙しかったのは終わったんだな。うまく言ってよかったな、と過去のことにしだす自分を省みるに、もうひと頑張りしなきゃ。

そうしないと、いつまで立っても属人化だな。

なんとか未来に向けてこの状況を脱却しなきゃ。

そう思う。