orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

お金を稼ぎたいのにスクールに行ってお金を使ってるという風景

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テレビを見ていて、YouTuberになるためのYouTuberスクールができた、という話を聴いて見ていたのだけど、年間120万円かかるらしい。

YouTuberになりたいのって、目的はやはりその収入額にあるのだろうから、お金を稼ぎたいのに、まず逆にお金を払っていることになる。そして、YouTuberとして実際にデビューした時に、本当に人気になりお金を得られるかというとそんな保証は全然ない。

ビジネスとして考えた時に、投資に対して回収があるとし、損益分岐点をにらみ時間軸を見つめるのだけど、どんなモデルになっているのだろうか。特にYouTuberの場合、最悪は1円も入らない可能性だってあるので、投資と時間だけ損失する場合もある。スクール代だけではなく、動画撮影の時間、設備費、コンテンツのための費用。

普通に考えて、ハイリスクハイリターンのビジネスモデルで、若い人がそのリターンを夢見て夢中になるのは歴史的にもよくある風景だと思う。

こういった、スクール系で悪くないと思うのが、そのスクールをある程度の成績で卒業すると、その後の仕事まで保証されているケース。芸能事務所がスクールまで運営し、才能のある人を自分の事務所に勧誘しその後の仕事までめんどうを見るという場合は、投資に対して回収の道が事前に見えるので、これは運営がしっかりしている場合はリスクはある程度コントロールできる気がする。向いていなければスクール側が判定してくれるので、その後の時間やコストの浪費は避けられる。

企業も学校を作ってその後雇用するようなモデルも昔からあるし、全てのスクールを否定したいわけではない。ただ、単に学ぶだけならもっとコストを抑える方法があるのに、世の中にはスクールビジネスが溢れていて困ったもんだなとも思う。

私は学校という制度に馴染めなかったほうの人間だけど、あの学校という仕組みは、参加型になっていて、一緒の目的を持った人たちと一緒にいることで、なんとなく「勉強しなくちゃ」という動機を作ってくれる。試験もあるだろうから、スケジューリングも強制的にさせられる。おそらくスクールで学ぶことの大半は教科書や動画で自習できるのだろうけど、自習のなかで動機を作り最後まで習得することは、かなりの人は難しいんだろうと思う。それに年間100万以上支払う価値があるかというとそれはまた別の話だが、ある人にはあるのだろう。

昔やったゲームの中で、「情報屋」といわれるキャラがいて、ある情報を得るためにはそのキャラに何万ゴールドも支払わないとゲームが進まない、みたいなシーンがあり、そんな無形のものに何でそんなにお金払わないといけないんだよ、みたいなことを思ったことがあった。しかし今、似たような社会構造になっていないか。オンラインサロンだのスクールだのってのは、結局その領域ではないのか。昔は本を出してベストセラーが一択だったのが、最近は「限られたお金を払ってくれた人にだけこっそり教える〇〇」がトレンドのような気がする。だって、全員がアクセスできたら、競争にならないから。私のこのブログのように、全国民に知られていないような媒体であれば、読んで頂いている人には少しは福もあるのかもしれないけれど。

最近のこの「情報屋」ブームは、なんとなく、情報の価値が上がったというより、お金の価値が落ちたような印象を持っている。特にデジタル化によってお金に手触りがなくなってきていて、簡単に人と人の間を飛び交うようになってきている。ソシャゲで何十万も使う人の話を昔聴いて、そんなことにお金を使うのかと思ったけど。使うのだ。それぐらいお金が手に入りやすくなっている反面、失う機会も増えているように思える。貯金に励む典型的な日本人像も最近は違ってきているように私は思う。お金を稼ぎたいのにお金を払っているだけにならないか、よく考えてお金は使ってもらいたい。