orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

他人の批判をして注目を浴びる手法が目立つが

 

ネットの情報を見る限り、他人の批判をしてやりこめることが、何らかの聴衆の興味を誘い注目を浴びることは間違いない。その行為を映像化することで視聴回数の増加を誘い、広告収入を頂く要因になる。計算づくで他人を攻撃し、そこで起こる様々な不都合すら、聴衆を集める燃料とし、さらに他人への攻撃を深めていく。

これらはもはや、職業として成り立っている、と思う。だからこそ社会に幅広く顔を出していると標的となってしまう。標的となるような人は、むしろ攻撃に対して、攻撃で返さなければ生きていけないような状況だ。そこで負けを認めてしまうと、むしろ哀れみのような眼を聴衆から突き付けられ、更に攻撃を受けるという結果になる。同じ土俵に乗りたくないなら徹底的に無視するしかないのが現状だ。

そもそも、他人を攻撃するというのは、人格が未熟である証左である。より優れた人格を得ている人は、簡単には人を攻撃することはない。たくさんの価値観を認め、色んな方法を許容し、多くの人と手を取り合って大きな力を出していくことのできる能力がある。

きれいごとを言えば、人格はより高めた方が、人生を豊かに生きることができる。人格の高い人は人格の高い人から信頼を得て、そして大きな価値を達成できやすくなるため、結果としてよりよい人生を歩めることになる。

この一般論を軸としてもう一度、今の他人の批判をする行動が流行していることを考えると、なんと意味のない方向へ人々を先導しようとするお金の使い方をする人がいるんだろう、と悲しくなる。

そんな金の使われ方に、乗っかり、自身の人格を傷つけるような生き方、私はなんとも貧しい現象であると考える。

人を傷つけることを良しとせず、自分を更に高めることに専念し、それにより身の回りの人をより幸せにしようとする態度こそが、価値を生む。人生を豊かにする。

あまりにも世の中で流行として行われていることが、私の信じることと乖離する。あんなものがもてはやされるとして、それにお金を出すプラットフォームの方の軽薄さ、文化の低さ、その全体の構造自体があまりにも間違っている。きっと、歴史に全く名を残さない。本来は無価値な出来事だ。プラットフォーマーは、お金の動きだけしか考えていないからそういうことになるのだろうが、踊らされる人々もおかしい。

こうやって、おかしい、と表明することが社会の何になるのかは分からないが、多くの人が誤った方向に進んでも、自分だけは正しい道を進みたい。