orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

博物館や庭園はとても面白い

 

毎週、東京を中心にどこかに小旅行をして、写真を撮って楽しんでいる。

 

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コロナをもらってしまい先週はお休みしたが、今週からまた再開予定である。

この連載で、よく行くようになったのが「歴史博物館」と「庭園」である。

両方ともこの年になるまで、さっぱり魅力がわからなかった存在だ。

 

歴史博物館に1つ行っただけでは、おそらくまだ魅力はわからない。いくつもの博物館に何度も行ったら意味が変わる。同じ時代軸なのに、そこにいる人間の立場や目線で全く違う切り取りがされている。武士と庶民、商人や芸術家などいろんな立場があり、立場によって景色が全く違うことがわかるようになる。みんな同じ時代に生きているはずなのにまるで別の世界を生きているように表現される展示物は、この世の奥行きを物語っているようである。

かつ、展示物において、存在感を示すのが「金持ち」だ。皆お金が余りまくったので、文化財にお金を使うことを競っているのがわかる。収集したものを当時の文化人に披露し、とても徳の高い人物だとアピールするところまでテンプレートである。人間とはそういう生き物なんだろうか。そして、どの金持ちも同じように収集するのではなく、個性がある。言ってはなんだが田舎者がお金持ちになったケースだと、統一感がなく、かつ没後それらの資産も子孫が大事にしていなかったりして、栄枯盛衰感を強く感じることができる。きちんと管理しているケースもある。生前の念はこもるのだ。

博物館の展示一つ一つで感動するわけじゃない。現実の社会はさも複雑だ、と思うその感想が、過去に対しても当てはまると考えると、これは楽しさではなく「怖さ」の方が先に立つ。過去の人たちも、考え、戦略を練り、行動に移していた。そのたくさんの選択の結果が現代である。過去こんなに優秀な人がいただろうに、何で日本はこんなになっちゃってるんだろう、ということの理由の一端が、博物館の展示が示唆してくれる。

博物館に行くたびに、いやおうなく過去が、毎回新しい示唆をしてくる。オンラインゲームの拡張パックみたいなもので、どこまで広いんだ「過去」は。そして、今につながっているというのがぞくっとするわけである。

現実の私の選択が、未来にまた影響を与えるんだろうな、という手応えすら確認もできる。過去から現在、現在から未来。博物館でしか感じられないこと、だ。

 

「庭園」についても言っておこうか。庭園も日本全国にあり、一つだけ行ってもおそらく何もわからない。いくつもの庭園をはしごすることで気が付く。それぞれの庭園に個性がある。その個性はオーナーのものだ。オーナーの考え方で同じような作りの庭園でも趣きを変える。

今のところ私が恐怖すら感じた庭園が、駒込にある「六義園」である。

 

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徳川家由来ということもあり、当時の芸術の最先端だった人々が建築に大いに関わっている、と思われた。庭園にある全ての直線・曲線が、コントロールされている。これはきっと3Dゲームを作る人のマップデザインととても似ている。自然物を使って、風景全部を作る感覚。それを植物という変化し続ける生命体で一つのワールドを作り、おそらく何年もかけて景色を完成させるという恐ろしいことをやってのけている庭園である。ゲームなら完成した植物をすぐ配置でき位置も変えられるが、植物の場合は埋め込んだら位置は変えられないし、どう育つのかも読めない部分がある。どうやっているんだろうか、と思うくらいの景色のコントロール具合が、くらくらするほどの精度を保っていた。

一方で、どことは言わないが、腑抜けた庭園もたくさんある。きっと、お金持ちになったので、名のある庭園を真似してみた、というような庭園もある。それはもう、景色が間延びしていて、植物の手入れもあまりされておらず、同じ庭園でもこうも違うんだという気づきがあった。

庭園ができる理由にも色々あって、庭園によってキャラクターが色々あるのを感じることで、そもそも当時庭園とは何だったのか。建築主は何を欲しくてこの景色を作ったのか、色々探っていくことは、推理小説のようでもある。

 

東京周辺で少しだけ博物館や庭園をまわっただけで、これだけの感想を得ることができる。共通していることは、過去に向き合うことで原因と結果の山が存在することを感じることができることだ。今は今でしかないが、その地面にはたくさんの迷いが埋まっている。それらを未来に対して反映させることができるのは、今生きている我々しかいない、というのが楽し過ぎる。今に眠る過去の成功や失敗の数々、活かすしかない。

 

また、恐れを感じるために、小旅行は続く。