運ゲー、って言葉がある。プレーヤーの技量ではなく、運に委ねられているから、ゲームとしては面白くないという意味がある。
人生はどうか。私は運ゲーだと思っている。運が良ければいい目に遭うし、悪ければ悪い目にある。個人の技量でなんとかしようとしても、どうしようもない理由で、どうにもならない目に遭うなんて、ニュースを見ていればわかることである。
そんな中で、私は運がいいと思う。具体的に挙げればキリがないが、運がいいことで救われた回数は数えきれない。人生を運ゲーと捉えるなら、運ゲーをうまく勝ち抜けた気がする。全てがいい方に転んだとは思わないけど、トータルで勝ってればいいのが運ゲーの特徴である。
じゃあ、何がどうなったら運に見放されるのか。それこそ運ゲーだから抗う方法はないのか。うっすらと感じていることがある。この運と言うものの性質を。
自分が、何らかの「ため」に生かされているとして、まだそれを満たしていないから明日を生きる理由となっている。この世で何かやらなければいけないことが残っており、それをやり遂げるために、運が降りてくるのでは、と。
常に、満たされない渇望感や、まだまだ何かできるという予感を未だに感じており、私が何か関与することで世の中の何かが変わりそうだと思っている。それが本当にできるかはわからないが、運が巡ってくる理由は、まだ私が成し遂げていないからだ、と感じている。
私が生きる何らかの「ため」は私にもまだ見えないけれど、もっともっと何か私にできることがあり、それを私がまだやり遂げていないと思っているうちは、どうしても運が味方してくれるんじゃないか、なんて思っている。
人生は運ゲーである、ということに注目すると、ゲームであるという事実がある。ゲームには目的があるが、目的というほど人生にはわかりやすい指標がないのだ。人生はわかりにくいゲームなのであり、わかりにくいうちは運がゲームを作ってくれるのではないか、なんて思うのである。
休みだって平日だって、遊びだって仕事だって、すべて人生の構成要素であり、それぞれが運によって大きく揺さぶられている。たくさんの人が同じ運を持っているとも思えないし、いいこと悪いこと、不条理なことがたくさんあるのがこの社会だ。
その中で、私が私の人生、この運ゲーをより盛り上げるためには、何かわからないこのゲームの目的に向かって邁進するのが一番「運」を吸い寄せる方法なんじゃないか、と思うのである。
自分の人生の目的っぽいところに向かって、日々たくさん手も足も口も動かしているけれど、それは運を引き寄せるためであり、そして目的をつかもうとしている。けど、全然、わからんのがこのゲームの目的である。それだけは言い切れる。まあ、わかるのが目的じゃない。近づき続けるのがこの人生の特徴なのであろう。運はそこにあるし、運ゲーならではの特徴である。