orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「感謝せよ、感謝するのは重要だ」の大誤解

 

「感謝せよ、感謝するのは重要だ」

という言葉には誤解が詰まっていると思う。

感謝するかどうかというのは、自分の中での現象にしか過ぎない。いろいろな情報を見たり聞いたりして、その結果、感謝という感情が自分から湧き上がるのである。自分から能動的に感謝するというのは、私は欺瞞だと思う。それは感謝ではなく、感謝しぐさ、である。

なぜ感謝しぐさが成立しやすいのかというと、感謝を伝えると相手が喜ぶからだ。相手が喜ぶことを目的にすると、自分の中で感謝が起きていなくてもとりあえず感謝の言葉を伝えれば、感謝したかのように伝わる。相手も喜ぶ。

しかしそれは、ウソではないのか。

必要なのは、自分自身が、感謝をするために必要な情報を正確に受け取ることだ。誰かにお世話になったとか、お願いを忠実にやってくれたとか。受け取る情報の解像度を常に上げておかないと、感謝を感じることすらままならない。つまり認知段階で、忙しさ、ひねくれた価値観、悩みなどで感情的にねじ曲がっていると、感謝までいかない。やってくれるのが当たり前だ。不満だ。やるべきことをやっていない、などと解釈され、感謝ができなくなる。

できないのに、立場上「ありがとうございます」「助かります」なんて言葉をかけても、その言葉を受け取る方は察知するものである。ああこの人は、表面上その言葉を言っているだけなんだな、と受け取られる。

そうなると、その後いくら(本当に)感謝の念を伝えても、さっぱり相手には響かなくなる。ウソなんだか本当なんだか見分けが付かない。これでは逆効果なのだ。言うなら、いつも本当の感謝の気持ちでないといけない。

一方で、せっかく感謝の念を持っているのに、相手に伝えないというタイプもいる。これは非常に、非常にもったいない。上述したとおり、人間は感謝を伝えられて嫌な気持ちになる人はいない。であれば、心から湧き出た感謝はぜひ、相手に伝えるべきだ。ありがとう。これはありがとうと思っていないのに言うべきではなく、思ったなら言うべき、ということだ。照れくさいなんて、何の役にも立たないから、思ったならぜひ伝えて見よう。それを今までやってこなかったならば、今からやろう。人生が変わるくらいのインパクトがあると断言する。

感謝する、という意味について理解を深められただろうか。

まず感謝すること自体にハードルがある。正しく認知できていないと、感謝すらできないのが人間の性質だ。感謝しなきゃ、ではなく、感謝するに値する人々の行動はどうなっているのか。見なきゃいけない。聞かなきゃいけない。普段周りに気を配っていないと、感謝することすら難しい。

一方で、正しく相手に伝えないと、せっかくの感謝の感情がスタンドアローンになってしまう。それでは、感謝していないのと結果が同じだ。言わなくても伝わる、と昭和の寡黙なハードボイルドは思ったかも知れないが、絶対違うぞ。言わないと伝わらない。ありがとう。ちゃんと伝えよう。感謝を感じる度に。

そして、感謝を思ってもいないのに、ありがとうと相手に伝えることは、欺瞞でありウソであり、ウソは見抜かれる。自分の評判や誠実性を落とす。それならやらないほうがいい。社交辞令のありがとうなんて、私は使わない。

人に感謝するというのは、奥深いことなのだ。理解して生きたら、きっと素晴らしいことが起こると思う。