orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「スキルを付けて、会社や社会の役に立ち、評価を上げて給料を上げる!」はもう古い理由

 

労働者として仕事を見るのではなく、経営者として仕事を考えると随分違った景色が見える。仕事をするのは自分なので下から見るか上から見るか、同じ自分を見ているのに全然意味が変わってくるのが面白い。

会社には社長がいる。会社の始まりは一人の社長から始まる。初めから仲間がいる場合はあれ、まずは一人だ。社長が、事業そのものを全て手の先爪の先まで見て運営していたら、これはまず一番レベルの低い状態となる。なぜかというと、社長の死が会社の死を意味するからだ。

会社とは、お金を稼ぎ続けるシステムだが、一つ特徴があって、人間の寿命を超える。健全であれば百年以上続く。だから会社は、会社に仕事を依頼するのだ。人間に依頼するとその人間は余命いくばく。誰でも命は有限だから。会社にお願いすれば、誰かがいなくなっても別の誰かがやってくれる、という前提がある。実際はそうもいかないのはともかくとして。

だから、社長は、事業の基礎を作ったら、従業員を雇って事業の大部分を任せなければいけない。ただ、全権を与えるのではなく、大事なジャッジメントはできるように指揮系統や内部統制を構築する。それはもうシステムである。

事業は、いくら調子が良くても時代により変化し続けないといけない。また、もし需要が大きければ従業員を増やしオフィスを広げ、より安定して成長できるように環境を整えなければいけない。社長は、会社がお金を稼ぎ続けることを第一目的に、その仕組みを監視し、変化させ、拡張もしくは縮小する。これに専念できている状態が、レベルの高い状態と言えよう。

さて、労働者目線で下から見上げて行くと、正直、会社の継続性なんて眼中にはなくて、自分の役割が与えられそれが脅かされないなら、ほとんどの人は満足して働く。それに対して、世間並みの評価が与えられればもう素晴らしい。人間関係が良く業務内容も自分の好みと一致すれば、たいていは人は働き続ける。

しかし、労働者を極めれば極めるほど、だんだん経営者側に近づいていく。いわゆる管理職。会社が継続するためには、という命題がどんどん上から近づいてくる。その場合に自分の役割だけを考えていたら、経営者からは失望されるのだ。「あなたが元気ならいいが、あなたがいなくなったらその事業、どうなる?」。これを労働者が考えなければいけないというのは、実は結構、過酷な話だと思うのである。

だって、誰しも社会人になったときに、「スキルを付けて、会社や社会の役に立ち、評価を上げて給料を上げる!」と思ったでしょう?。

しかし、その発想だけだと、経営者目線では満足されないということ。

労働者としての有スキルはわかった。次は、自分がいなくても回る仕組みを考えなさい。この指示は、実はものすごく発想を転換させないと、頭が付いて行かない。

今の世の中、コンサルと呼ばれる人が幅を利かせているらしいが、彼らの商売はこの経営者目線だ。ほとんどの会社が、社内に労働者目線の人間しかいないので、相談する相手がいないのだ。明日は業務がまわるかもしれないが、十年後は大変不安。定年退職者も出る。収支は安定しているのに実は危機。そうやってお金を持っている企業の社長がコンサルにどうすれば会社が継続するのか、救いを求めている。

スキルだジョブ型だと言われつつ、それらを組み合わせてどう、会社を永続化するかというのは結局は人間が考えなくてはならない。むちゃくちゃな設計をすれば、ジョブ型だなんだと最新の考え方を導入してもうまくいくはずない。もしジョブ型が失敗するなら、ジョブ型のせいではなく設計のせいだ。

そう考えると、労働者が労働者で居続けられ、そして定年を迎え卒業していくというのは、実は昭和っぽい話なのかもねと思うのだ。特に少子化人口減少なんて状況が常態化する今後は、「会社が、お金を稼ぎ続けられるためにはどうしたらいいか」なんて、一番労働者にとって遠い話が、現場でも大命題になるからね。労働者が労働者っぽくあり続けられる日は、残り少ないのかもしれない。