orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

オフライン会議に慣れていない人が多い事実

 

最近、オフライン会議をすることが増えた。

ここ数年には無かった状況だ。Web会議には本当にお世話になったが、ほとんどはオフライン会議に置き換わる。それ以外はWeb会議ではなく、ビジネスチャットやら課題管理システムやらで十分だ。

オフライン会議の何がいいかというと、伝わりやすいということ。もうマスクも私は外しているので表情による伝達も大きい。いろんなものがWeb会議では省略されているし、省略しなくていいのは快感すらある。伝わるといろんなことが動く。動くから仕事は発展する。

ただし、なんとなく思うのは、対面の人々がオフライン会議自体に慣れていないということ。私はこんなことを言うことが多い。

−ノートパソコン閉じよう。記録することはないよ。
−アジェンダはいらない。雑談をしよう。
−どう思う?。

つまり、何かを決定するために集まる、ということは排除している。思ったことを言い合うために集まる。議事録など不要だと思っている。そんなにデジタルで決定プロセスを明確にしたければ、会議は向いていないと感じることの方が多い。会議の区切られた時間で決定プロセスをパッケージするのは、効率的でないと感じる。すぐ決められることはすぐ決め、迷うのなら数日必要だろうし、そのために集まるのは得策ではない。

集まるのは、情緒レベルで共有するためだと思う。言語よりも深いレベルで認識を共有しあうと、提案レベルで協調性の高い案が出やすい。実際、人々がわかり合うって結構大変な作業だと思うし、この数年間のリモート体験でわかったのは、大事なオフライン会議を省略したことでいろんな無駄が生まれたということだ。

効率化の象徴だったリモートワークが、なぜ無駄の元凶かというと、情緒レベルの交流がないと誤解が生まれやすいからだ。言語だけの交流はプログラミング的には効率的だが、参加者が納得を生むまでの結果を生み出すには、なかなか困難がつきまとうということがわかった。

例えるなら、電車に乗っているときに、周りの乗客をどう思うかと同じだ。みんな記号のように捉えるだろう。「乗客」とひとまとめにして概念化するはず。これを、同僚に対して同じようにしてしまうのがリモートワークのみの仕事の最大のデメリットだと思う。みんな、違う個性を持ち、違うニーズがあり、違う感覚を持つことに気づきにくい。

ビジネス上のお付き合いでも、相手とオフラインでお会いしようとは思っているが、まだそこまで社会が変化していないので、とりあえずは社内からだ。毎日顔を突き合わせる必要は全く無いけれど、毎週1度は会話をしようと思っている。そのときに、交換するのは情緒だ。

これまでの数年間、結構この事実を気づかないで社会は回されてきたけれど、世界はどうか。係争にあふれているじゃないか。これが、情緒というデータを交換しなかったツケだ。もっとオフラインを。