orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

はるか遠いデータセンターに一週間閉じ込められた時の話

 

もうあれは、12年くらい前になるのか。

関西のデータセンターに一週間通う仕事があった。よくある、東に本番系のシステム、西に待機系のシステムを置き、通信回線で接続しているという大型システムの構築の仕事だった。

東の本番系については準備が済んだので、構築スタッフ(総勢二十人くらい)ごと関西に一週間ほど出張した。私はその中の一人だった。脇役だったけど。

関西の郊外にあるそのデータセンター、とても広い敷地を持っていた。受付に名前を書いてIDカードをもらい、それで入室したが、軽く迷子になれるくらいの大きさだった。

サーバー室が5階にあって、休憩室は2階、みたいな構成だった。この間を移動するのに10分以上かかったからその大きさが知れる。

今考えると、私はそこになんで行かないといけなかったのか、いまいち思い出せない。ジョブ周りを担当していて、リハーサルの際にジョブがこけたら調査するみたいな役だったけど、結局ジョブはすんなり動いて、あんまり役に立てなかった、みたいな話のように思うが本当に昔過ぎて記憶はあいまいだ。

ちょうどあの時、休憩室でテレビを見てた。仕事がなかったのに待機しなくてはならず、特に親しい人もいなかったから一人で座ってた。ぼうっと番組を見ながら、ああ、この会社にいたら駄目だな、って思った。思うことしかできなかったので、転職のエネルギーを膨らませていた。

やっとデータセンターから解放され、出張先のホテルに戻り、自室で考えた。これは転職すべきだ、と。転職ってどうするんだろう。パソコンを開き、いろんなサイトを調べて、転職には履歴書と職務経歴書が必要なことを知った。初めてのことだったし、リーマンショックの後でうまくいくかどうか不安だったけど、とりあえず仕事は続けながら裏で転職活動しようというアイデアを持った。実際それは正しかった。辞めてから転職活動すると、心に余裕もなくなるようだ。転職活動がうまくいかなかったら、素知らぬ顔で現職を続ければいいだけ。それは令和の今でも通じる真理だと思う。

あの、データセンターという施設は、コンピューター様を第一に考えた施設であり、全く非人間的な場所だ。一年中気温は一定だし、外と完全に遮断されており、サーバールームには窓もないから時間の感覚もなくなる。

そんなところに出張で一週間以上通い、そして自分のことを見つめる大事な時間となったために、私の場合、転職する動機を頂いた。データセンターとホテルを行き来して、仕事もあまりなく、思考だけが強いられる環境。あれは運命の時間だったんだろうなと今になったら、そう思う。

帰宅した時には、100%転職の意志を固めていたから。

人は、変わらないといけないときは、変わるべきだと思う。ただ、本当に変わるべき時は、外の環境自体が自分に変化を迫る。私の場合は、一度も経験のなかった関西出張や、炎上構築プロジェクトの仕事が舞い降りた。そして、ここでは語らないが私のやる気を失わせた自社営業の発言もあり、自分の意志というよりは、環境からの強いメッセージを受け取り、転職の道が開かれた。

今、その転職活動を行って見つけた会社で満足して働いているので、あのデータセンターに閉じ込められた状況は、当時の自分の心はすさんでとても悲嘆に暮れて転職を選択したんだけど、今となってみたらとても幸運に恵まれたのかもしれないとも思う。もし、中途半端にぬるい現場がアサインされていたら、到底決断はできていなかったから。

そう考えると、なんとなく自分が変わらなきゃ、っていう思いって実は意味を持たないのかもしれない。本当に変わらなければいけない時は、遠い海から黒船がやってきたように、自分の意志関係なく、巻き込まれるように変わることを強いられる。それが来るまでは、もしかしたら、変わらないでいることも重要なのかもしれない。あえて変えないで続けることのほうが有意義であることの方が多いから。