orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

ネットの情報との付き合い方

 

ネットの情報はよく見る。

よく見るんだけど、ほとんど信じていない。大衆は今こんなことを正しいと考えているんだなという情報収集に使うことはする。流行とも言う。流行の方向にみんなお金を使う傾向にあるので、それは知っておく。仕事とはお金を頂くことが目的なので、流行を押さえなければなかなか勝つのは難しい。

ただ、流行が正しい結果を暗示していると思ったら大間違いだと思う。民主主義の基盤は多数決で、多数が正しいことを選ぶ可能性が高いと信じられているから成り立っている制度だが、よくよく考えてほしい。多数が支持することと、正しさそのものには、きっと相関関係がない。歴史を振り返ったら、大勢の人が間違えてた、なんてよくあることだ。

大学受験で偏差値に慣れ親しんだ人ならわかると思うが、偏差値70以上は全体の5%しかいない。全体の5%がより優れていて、優れた結果を出せるのだというのなら、多数決は正しさを決める機構としては非常におかしい。優れた5%に意思決定をさせるのが最も合理的である。多数決を取っている時点で矛盾しているし、ビジネスでは多数決より、より役職の高い人の決断が優先される。

つまり、流行を追うというのは、全体の多くが支持するような物事、というだけのことであり、正しさそのものを追うということではない。単なる現象である。これは大事にしたい。

たくさんの人が同じことに向かうから、それが正しいんだ、唯一の方法なんだと追いかける人も多いことを知っている。いつも流行を気にして、行動パターンに必ず取り入れる生き方をする人がいるのも知っている。

私はそれを10メートルくらい後ろで観察しつつ、本当の正しさを広い視野で追っている。だいたいは、優秀な5%、いやもっと少ないかもしれないがアブノーマルな人が、全く別方向に走りつつどこかのエリアを陣取る動きをする場合がある。後ろから見ていると異なる動きがよく見えるのだ。むしろそういう動きの中に、本当の正しさみたいなものがにじみ出ることがあって、それをネットで見つけるようにしている。単にハズレな場合もあるので興味深い。単なるマイノリティーと言うだけの場合ももちろんある。

流行というものは、ある時期に人々が失望するかもしくは飽きることによって終わることが多い。それと同時にまた新しい流行が始まるが、また懲りずに、大勢の人がわーっとそちらに走っていく。年中そういうことをやっているのが人間社会で、それで、勝つのはいつも先に別の方向に動いていた人。その活動と流行がかみ合ったときに、バズるわけである。先駆者、パイオニアとして祭り上げられることになる。

もともと私自身も、団体行動が苦手だし、協調性もないし、流行も追わないし、そういう性格を基盤として、ネットって人々の行動を見つめるのに便利だな、と思っている。

流行を追うのは無駄だ。現在のデータをいくら見つめたって、実際なところ未来は見通せない。それより、世の中の状況を把握しつつも、自分が楽しいと思える事柄を探そう。そして、いつか流行が自分に向かってきてくれるかもしれないと期待して、極めればいい。だいたいの成功している人、そんなパターンが大変多いと思っている。