orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

AIによる著作物があふれる時代を生きるとして

 

NHKのニュースで自動音声を使っているコーナーがあるけど、ますます人の声と似て来たな、と。いやまだ、よく聞けば聞き分けはつく程度だけど、結構時間の問題だなと思うところまでは来ている。

Googleのサブスクで音楽を聴いているけど、たまに妙な音楽が流れることがある。全部の曲が同じ時間のアルバムなんかがある。イージーリスニングだけど、もしかしたらAIが作ったものをアルバム化してるんじゃないか、という疑いを持っている。十数曲もあるのに全部同じ時間で作り終えられるものなのだろうか。真実は知らないけど。

お絵描きのAIも、単に言葉から発想されるものだけではなく、ポーズを取らせることもでき始めて、おそらくソフトウェアそのものに組み込まれる日も近い。

巷で話題のChatGPTや、それに追随するテキスト生成AIも、日進月歩で人の書く文章をシミュレートできるようになってきた。技術的にはもはやできていて、あとはどうデータを食わせるか、倫理をどう守るかみたいなところまで来てしまった。学校の宿題をやらせる学生も出てきたりして、便利なのを飛び越して、人の生活にちょっかいを出すレベルまで来てしまった。

全方面でAIの成果物が人間を囲み出してきて、しかもその品質が一定以上で、人間を楽しませることができるようになった時のことを考える。人間が手を動かして成果物を作ること自体の価値が劇的に下がるだろう。成果物の中でも「複製できるもの」についてはAIの独壇場になりそうである。人間が唯一活躍できることは「ライブ」になりそうだ。そこに人間がいて、わざわざ人間がやっている、そしてコミュニケーションが取れるということだけは、AIには限界がある。人格を宿し、表情や感情があり、そして信頼関係を作るということだけが、人間の特権になってくる。

複製できるものはAIが全部自動で作り出すとすれば、デジタルメディアはほぼAIが制覇することになり、かろうじてスポーツ中継など人間がやらないと価値を作れないものだけ、人間が携わることになる。

ただ、スポーツにおいて、人間のルールを裁くのはAIになって来そうで、どうにもAIからは逃げられない。人間の仕事みたいなものは、人間を模倣したAIが刈り取っていくのはこれは宿命だと思う。

AIの能力をどんどん研ぎ澄ましていくと、だんだんと人間の知恵のようなものはAIが学習しつつ吸収していき、逆に人間がそれに依存することで、人間がAIに支配されるようになる。人間が無知側に立ち、AIが人間を指導するようになる。

考えれば考えるほど、今の社会は、何か得体のしれない世界の入口にいるように思う。ここ10年はまだ進化の途中だろうが、だんだんと、AIが作った優れた著作物が蓄積されるうちに、それらをどう扱うか人間が困りだす絵が見える。捨てていいものか。優れた著作物として後世に残すべきか。そもそも出力の量が多すぎて人間が見切れなくなるのか。人間が作る意欲を無くすぐらいになるかもしれない。

あまり、明るい世の中につながりそうな気がしないのだが、それでも人間は未知なるものを追い求める性質があるようで、明日もまた進化するのだろう。こうやってSFめいたことを想像しているのが、近未来を予見しているのと同じ意味な気がしている。そうでもしないと落ち着かないくらい、最近のAIの成果物は目を見張るものがある。