人間、誰しも完璧ではありえず、何か欠点を持つ。
私ももう40代後半まで来ると、自分のダメな部分というものを知り尽くしている。いい部分も知っている。いろんな要素を組み合わせて自分が成り立っている。
このダメな部分、それが露出したときに人は反省する。反省して反省して、その結果人は成長する、とは言うが、それでもまたその悪い部分のために失敗する。なんで、こんなに自分はダメなのだろうと反省する。でもまたやってしまう。
そういう、根本的にダメな部分というものは誰しもあると思う。みな同じではなく、それぞれが持つ、どうしようもない欠点。それが人間らしさ、とは言うけれど。
ダメな部分に対して、基本的に是とされる対処法。例えば原因を探り、考察を行い、そして結論を出すというような科学的手法は、一切役に立たないと私自身は思っている。どんなに理由がわかっていてもやってしまうのだ。「徹底する」「定期的に思い出して忘れない」と言った、よくある報告書に書かれるような対策は役に立たない。
さて、それでは、反省が効果を示さないこのダメな部分、どうすればいいのか。それは、ダメな部分が露出しないように、生活のいろんなパターンから排除することである。
例えばお酒で失敗する人は、お酒があるところに行かないところから始まる。自分の行動をお酒から遠ざける。お酒をコントロールできると自分が思うところから失敗なのである。
異性関係で失敗する人は、異性と合わないよう生活の環境を変えるべきだ。男性なら、女性があまりいない職場が好ましい。異性関係をコントロールできると自分が思うところから、変えなければいけない。
お金で失敗する人は、お金をコントロールできる人にお金を預けた方がいい。自分がお金を持つと失敗するのだ。ということは、お金と自分をできるだけ遠ざけることで、失敗の可能性が減る。
車の運転で失敗する人は、車を持たない生活に切り替える。免許を返納する。運転ができる自分になろうとするのではなく、運転しないことで失敗できなくなる。
このように、ダメな自分をダメじゃない自分に変えようとするより、ダメな部分が露出しないように環境を、仕組みを変えることがとても重要じゃないかと思う。
若い時は、まだ夢いっぱいで、自分が限りなく成長できると思って、いろんなことを克服しようと試みて苦しい思いをした。でも、実は、それはとことんまで自分のダメなところと付き合ってみると、ああ、治せないんだということまでたどり着く。実はそこからが本当の仕事で、ではそれをどうやれば、どう生活すれば回避できるのか。そこからがまた1つの人生設計になると思う。
できないことは、できないのだ。そう考えれば楽になる人はいるのではないか。でも、人よりできることの一つはあるだろう。できないことをあきらめる代わりに、できることを大いにやるといい、そう思う。