orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

失敗ばかりを追求し、成功にはそっぽ向く風潮がいやだ

 

失敗から学ぶものは大きいとは言いますが、いや、成功からのほうが学ぶ方が多いのに、と思います。

問題が発生したとき、思い通りいかなかったときなどに、なぜそうなったのかを関係者がくどくど議論するようなことは仕事の中で起こりがちです。全ての失敗を消しこんでしまえば自然と成功すると言う考え方です。

ところが、全然失敗しないことだけを追求していると、失敗をしなくなると同時に成功も少なくなります。なぜなら、チャレンジ自体をしなくなるからです。そして失敗した時の追求・説明をできるだけ避けたいことばかりを考えるようになります。失敗さえしなければ、成功しているという顔ができるからです。

ところが、これは長期的な観点から見ると、大いに失敗に突き進んでいると言えます。たくさん失敗することにより学び、成功しようという発想から何事も始めたはずなのに、失敗しないことのほうが大事になってくるためです。失敗しなくなると、学びが少なくなります。できることしかやらないとそうなります。昨日と今日で同じことを繰り返すのは得意になりますが、昨日やっていなかったことを今日やることは、やらなくなるため、新しいことをやることがめっぽう下手になっていきます。

「事なかれ主義」と言います。失敗の責任追求を恐れる日本の土壌ではかなり起こりやすいと言えます。また、事なかれ主義の拡大解釈で、見つからなければ何をやってもいいというところまでモラルが欠如し始めることもあります。失敗とは失敗とみなされることだ、と解釈され、いかに失敗を隠し、評価者に失敗を認識させないかという技術ばかりがどんどん上手になっていきます。

このように、失敗に厳しい現場はやがて行き詰まり、そしてダブルスタンダードがはびこることになります。表向きのスタンダードを守りつつ、裏スタンダードを醸成する。裏帳簿とは昔からある概念です。

こう考えると、失敗に厳しい態度を取るのはとても害が多いことに気が付きます。失敗に対して、冷静に対処し、過剰に担当者を責めず、事実の把握と次回以降の対策に努める。それより、成功したときになぜ成功したのかを考え、それを積み上げていくほうがよっぽど組織のためになります。いい結果が出たことは事実であり、それこそがよりよくなるためのヒントになるはずなのに、なぜかこの日本では、「うまくいったときはラッキーだった」「あなたには才能があった」ということにされがちです。あなたはうまく行ったけど、私がうまく行くかは別物だよね、という雰囲気が漂っています。成功が目の前にあるのに、学べないのです。

失敗にかこつけて、責任を追及し政治的な話にしようとするテクニックも横行しています。リカバリーができる小さな失敗を繰り返し大きな成功をつかむような手法ができずらい社会の雰囲気になっているように思います。成功した人を評価すると、何か人々が都合が悪くなるような雰囲気すらあります。

私は、失敗を追求するより、成功を追求したい。成功している人を放置して、失敗している人の失敗をねちねち時間をかけて追及する文化こそ、非効率であることを感じます。