orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

安請け合いすると、価値が失われていく仕組み

 

自分を安売りしないのはすごく大事なことだと思うが、いざ生きているとなかなか難しい。どんどん仕事を引き受けて、恩を相手に売ることで、相手に信頼を得るという方法が一般的だからだ。それって、安請け合いのように見える。世の中の多くの仕事が安請け合いで成り立っているようにも見える。将来、信頼を得た時に報酬が得られるという目的があるから、はじめのうちは、使ってもらって、能力があることをわかってもらう。そのための試用期間みたいなものとして、安請け合いが成り立ってしまう。

しかし、そんな簡単に安く相手にプレゼントしてしまったら、次も安く、と思ってしまうかもしれない。そして安請け合いした方も、もしかしたら次には報酬がもらえるかも、とまた引き受けてしまう。

自分を安売りしようと思う人はいなくても、結果的に安売りしてしまうという事例は非常に多いのではないか。

世の中の商売の仕方でも、フリープランみたいなものを出して、とりあえず使ってもらう。そのうちにフリープランを縮小して有料プランに替えてもらう、というようなビジネスモデルがあった。

これも、結局は安売りモデルである。

よくこのフリープラン縮小のタイミングで、「改悪」などと言われて炎上する例をいくつもいくつも見たが、安売りが頂けない最大の理由が垣間見える。本来価値のあるものを格安に売ることで、消費者が「本来的に安価である」と誤認してしまうということだ。

事業者は顧客を大事にすることが是とされるので、改悪して顧客を大事にしない、などと言われてしまう。これはもともと、安売りしてたこと自体から悪手だったということになる。それでも、当初にシェアを取って有料に切り替えさせるという信念を貫くのであればいい。ただ、「フリープランが縮小!よかった!」という顧客は誰一人いないので、勇気がいる戦略である。縮小するまでは「便利なフリープラン」と言って客寄せしていたわけであるから。

このモデル。人生においても有効なのだろうか。そして、たくさんの人がこの手の安売りをやっていると思う。

安くしますんで、使ってやってください、と。

そして、「安くしますんで使ってやってください」の供給が多すぎるのである。それだけで需要が満たされてしまうとすれば、誰がお金を払うというのだろうか。

世の中の多くの人がその矛盾に気づき始めている。安請け合いして人を惹きつけると、価値をわかってくれるのではなく、安い価格に魅力があるだけだった、というオチがやってくることの理解が急激に進んでいる。

安請け合いは時間の無駄だ。お金を頂けるものについては精一杯価値を提供する。この考え方を、多くの人が同時に持つと、世の中はきっと良くなる。あまりにも安請け合いがはびこっていて、価値を提供するのがバカバカしい世の中があった。でも、もういらない。みんなでやめよう。はっきり言っていこう。対価の無い仕事はできませんと。それで十分だ。

私は、対価のないことはできないと、はっきり言うことにしている。

価値のあるものが存在し続けるために、安請け合いは皆でやめていこう。