orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

他人の責任を言いづらい時代が来ている

 

昨今の社会情勢を見ていて特徴的だなと思うのが、簡単に何らかの不都合な事実について、外部の責任にしなくなったな、ということ。

どういうことかというと、ロシアとウクライナの戦争である。人々が戦争とは何かについて思い知らされた。国と国とが争いだしたときに、ロシアが悪い。いやウクライナが。とは言うけれど、もうどっちがどうの言っている間に時間がどんどん過ぎ、被害は甚大なものになっている。武力での衝突とは、ロジックを超越し、不条理な現実を引き立たせてしまう。誰が戦争で得したのだろう。どっちが勝つとか負けるとかいうより、だれも勝者はいないのではないか。

少し前までは、アメリカも何かあれば中国が悪い中国が悪いと連呼していた。しかし、最近は大きな声では言わなくなったと思う(言っていないだけという話もあるが)。口だけでやんや言っているだけでは何も失うものはないが、その先、いざ戦争となると何を失うのだということを想像し、そしてさすがに慎重にならなきゃいけないということだけは世論を支配していると思う。

経済力での上下関係で発言の強さが際立っていた頃は、アメリカもどんな状況にあたってもイケイケだったが、ここ最近はどの地域も力をつけてきていて、多方面からアメリカはダメだ、と言われるとこれまで通りにはいかない、ということだと思っている。

さて、こういう国際情勢の話と、自分の周りは一見関係していないように思えるんだけど、実は世相というものは敏感に反応する。きっと、他責である性質、攻撃的なことは危険なんだよ、ということが人々の潜在的な意識下で共有される。今後、危険な言動だけでも一発でアウト、みたいな流れが来ると思う。これは、人類が生き延びるための知恵である。簡単に挑発的な発言をする人は、人類を滅ぼすのだと。

先日のG20の会議で、日中間で核の使用は断固反対、という意見を合意したというニュースを見た。

 

www.nikkei.com

首相はウクライナ情勢に関し「ロシアは核兵器を使用してはならず、核戦争をしてはならないとの見解で一致した」とも説明した。プーチン大統領と近い習氏が核使用を否定したことはロシアの行動に影響を与え得る。

 

おそらく、明確に一致した文脈はここだけだと思うのだが、こんな当たり前の、「核兵器を利用してはいけない」ということすら、言語化して確認しあわなければいけないほど、世界は切羽詰まっているということを心しないといけない。

その上で、今後の挑発的な発言、行動については、この緊迫化した状況において致命傷のきっかけになりえる。それは、世の中を生きる我々全体の課題となっていて、単に誰かと雑談するとしても、そのガイドラインは重くのしかかるような気はしている。

また明日から、日々の生活が始まる方は多いと思うのだけど、とみに他責的な態度というものが今後、評価を下げる大きなポイントとなると思うので、頭に入れておくと良いと思う。