orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

成功事例より、失敗事例の方が信用に足る理由

 

来月に、人前でプレゼンする機会があり、結構長い時間お話しする必要があって、パワポのスライドを作成していた。技術的な事例発表であり、こんなことができたという話をする。基本的には、こういう場では成功事例を語ることが普通だと思う。

実際にスライドが完成して見て流し読みすると、「実際はこんなすんなりうまく行きました、って話じゃないよな」ってこと。人前でわざわざ、こんな失敗がありました。こんなところが大ハマりしました。なんてこと言わないだろう。やっぱり見栄を張りたくなってしまうのが人間。失敗は極力隠し、高い技術力ですんなり成功しました、と言いたくなるものだ。

人は、結構、成功事例が好きだ。成功事例をトレースして自分も成功したいという欲求を持つ人はとても多い。偉人の伝記なんてそれをエンターテイメント化しただけである。きっと、偉人だって、とんでもない失敗や、絶対に明かせない逸話の一つや二つ抱えてるんだろうと思う。しかし伝記ではすべてが美談になっている。

端的に言って、一度も失敗しないで成功することなんてないと思う。もしくは成功したことも、たまたま運よく失敗を引かなかっただけかもしれない。だからこそ、成功だけの事例というのは、再現性に乏しく、実は学びが少なかったりする。

一方で、失敗と言うのは、もうそれ自体が教材である。失敗は全て必然だ。原因を追究し解決策を実施する。その失敗発生から解決までのプロセスは、それがどこでも再現するかもしれないという前提の限りにおいて、誰にでも学習教材となる。

色んな事を良く知っている人は、うまく行く事例をたくさん知っている人ではない。うまく行かないことをたくさん知っていて、その中でうまく行く数少ない方法を知った人だ。数多く手を動かして失敗を知るからこそ、間違えない。痛みを知っている人は、正解を見通す力が付く。

自分で手を動かして失敗するのが最も役に立つ経験となるが、世の中の事象全てを経験することはできない。だから、失敗事例には学びがある。自分が失敗しなくても、誰かが失敗してくれていて、それを学ぶことで選ぶ必要がなくなる。

もし、目の前に、とても素晴らしい成果を挙げた人がいたら、まず聴いて見た方がいい。

「これを成功するにあたって、いろんな失敗があったと思いますが、そのうち最も重要な失敗だと思うものを、いくつか聴かせてください。」

この問いかけこそが、実は事例発表の際には重要だと思う。成功事例には欠けがちな情報だ。成功したものの、実はその裏に大きな、普通の人には乗り越えられないような逆境が隠れているかもしれない。判断によっては、そんな失敗が起こる可能性があるなら、手を引くという結論もあり得るかもしれない。

成功事例と言うのは、聴いていると気持ちいいものなのだが、役に立つかというとこのようなトリックがある。たくさんの失敗を知ることにより、成功の一筋を見つけることが一般的なプロセスだと考えると、やはり失敗事例の方を信用したほうがいいと私は思う。