orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

技術者は無駄に手を動かしたほうがいい理由

 

今日は仕事が暇というか待ちの日だった。空いた時間ぼうっとするのも不快なので、おもむろにVirtual Boxを起動して、Rocky Linux 8を入れてみた。

OSのインストールなんて最近はめちゃくちゃ簡単になっているし、引っかかるところもなくてあまりドラマもないのだが、それでも、ああこんな画面なんだなとぼんやり見ていた。結構サクサクも動くので、最近の仮想化技術はすごいなとか、ハードウェアも昔と比べたらスーパーコンピューターだなとか色々思った。

OSを構築した上で、ある実証をしたくて、いろいろ資料をかき集めて手順書を作っていた。実証自体はうまく行ったのだが、実証自体を行っているときに発見があった。あまりにも最近、誰かに作業をやらせていることが多く、自分の手が「なまっている」と。

経験を重ねてくると段々、実装に近い部分をやらなくなっている。わかりきっている、と思っている部分。昔にはさんざん自分の手でやったこと。若手は経験が薄いから、そのあたりを何度も経験させるのが教育には不可欠だが、一方で自分自身はやらなくなる。

とても時間ができたときに、最先端の技術を追うのは1つの時間の使い方だが、一方で既知のことをもう一度自分自身でやってみることをたまにはやったほうがいいのかもしれない。

伝説のF1ドライバーがお金持ちになって、お抱えの運転手にいつでも運転させていて、さっぱり自分で公道を運転しなくなってしまうみたいなことと似ている。

最近の自動化技術も、クライアントレベルではRPA、サーバーレベルではAnsibleやノーコード・ローコードなどいろいろ出てきているが、自動化に慣れすぎてしまうと、いざ手動で動かそうとしたときに、あれ、手が動かないぞ、みたいなことになりそうな気がする。

暇つぶし、という動機でもいいから、何か自分の手で作ってみるということをチャンスがあればやったほうがいいと思う。それが何の役に立つかということは度外視だ。思いのほか、リハビリとしての意味が強い。もっと若いときは、技術の習得に対して何にでも手を出して、時間をかけてハマった経験を誰しもしたはずだ。それがいつの間にか「全部わかってるので自分ではやらない」みたいに変換され、そして人に指図をするばかりになる。気がつくと頭は回るが手が動かないみたいなことになりかねない。「昔はのう」といい始めたらそこでキャリアは終わる。

今日も、Linuxの構築周りやPythonのインストールやコードの実行をしながら、なんだか現場では偉そうにしているけど、こんなこともわかっていなかったのね自分は、みたいな一人反省会をしていた。でも誰にもそんなことは言わない。できるフリを相変わらずしながら、知らないことを知っていく。地道に。

結構お勉強って、参考書を買って1ページ目から進めていく印象が強いけれど、私の場合はこうやって手を動かして動いてうれしいな、みたいなことを積み重ねるほうが習得につながっていると思う。無駄か無駄じゃないかじゃなくて、知らないことかどうかだけ判断。その、あんまり戦略もないような無差別な習得が、いつかどこかで「知っててよかった」になることを何度も経験している。

他人には遊んでいるだけにも見えるかもしれないし、そして実際遊び感覚なんだけど、この手触り感ってのが技術者には最も重要なのかもね、なんて思う。