orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

万能AIの終焉

 

ドイツの心理学者ユングが、「人間には共通的無意識という分野があり、みんな独立して思考しているようで、実は無意識下では何らかを共有している」と言う話を聞いたことがある。ちょっとオカルトめいているが、落ち着いて考えると感覚はわかる。全く違うチャネル(世間話、マスコミ、ネット)から、同じような話をほぼ同時に聞くことがあり、何か底辺でつながっているのかも、と思うことがある。

今回の話も似たようなもので、「人間の心を模した万能AIは、今はまだ使い物にならないよね」という話だ。これを複数のチャネルから聞いてしまった。

 

www.nikkei.com

米アマゾン・ドット・コムが人工知能(AI)開発で独自の道を歩み始めた。ライバルが開発にしのぎを削る「万能AI」とは距離を置き、音声AI「アレクサ」では多言語対応など実用性とユーザーの利便性を優先する。先端技術投資でも顧客第一の経営理念を徹底するが、次世代競争に出遅れるリスクも抱える。

 

ビジネスにAIを持ち込もうとするとき、最も大事なことはアウトプット、成果物だ。結局のところ、どうやって作ったかが人間なのかシステムなのか、それともAIなのかというのはそんなに重要じゃないのだ。いいものができればいい。もしAIが担当できるのなら人件費がかからず、かつ24時間稼働できるからいいよね、そして速いよねという話だ。成果物に満足できて初めてAIがビジネスに入り込む。

ところが、このAIが出してくる成果物がポンコツなのである。人間だったら、会議室に呼び出して説教するレベルだ。頭のいい人はいるもので、同じ課題に対してAIが作成したもの。課題を熟知した人間が作成したもの。この2つを第三者に提示し評価させた。完全に人間の圧勝だった。AIが人間を模しているといったって、優れた成果物を専門に作る人間、というレベルまで行くと相手にならないのだ。

それなら優れた成果物だけを集めてAIが学習すればという仮説もあるが、AIが学習に足る教材を、優れた人間が作っている暇があれば、別の人間を集めて教育したほうが全く持って確実なのである。万能AIに物事を教えること以上に、万能AIをいかに作るかのほうが高度であるので、そもそもコストが見合わない。ポンコツのくせに、である。

おもちゃとしてのAIは人間が面白がるのに十分なのだが、そこから先に進まない。アメリカの大企業が大金をかけて取り組んでこの状況なのだから、今しばらくは人間の代わりをさせるのは、むしろ公式を当てはめたり、統計分析をしたり、のような、汎用的に使えるロジックをシステム化するような手法の方が現実的ということだ。これは、従来のシステム構築の方向性と全く変わらない。

一方で、人間を模したAIを使うのはあきらめるとしても、ごく一部の機能については成果物が評価できる分野もある。実用までたどり着いたほんの一部の人間の機能についてはどんどん使っていこう。これが現在においての最適解だ。

 

・・・という話を、複数の人から聞いた。

私もここ数年の「AI」と言われるものの登場から、その進化まで遠くから見てきたが、確かに登場時から進化が伸び悩んでいる。まだ登場したばかりだから、という言い訳が通用しないほど時間が過ぎている。大金をつぎ込んで進化させても、今のハードウェアやソフトウェアの資源効率では、環境を害するだけじゃないのか。その批判を跳ね返すことはできないと思う。それなら、その中の一部の、実用に耐える成果物、例えば翻訳、自動音声、画像認識、要約などを使う方法を考えたほうがいいというのは自然な発想だと思う。それぐらい、AI単体は今行き詰っているといっても過言ではない。

今後も地味に研究は進むだろうが、地球の資源問題がこれだけクローズアップされている状況で、このまま万能AIに対して無尽蔵に資源を投入する時代は終わったと見る。まあ、機械学習でGPUをぐりぐり回して電気代を浪費するのが正義とは思えないよね。それより生きている人間がやればいいよ。