「どうあるべきか」を知っているのに、なぜ「やっていること」が乖離するのか

 

最近、学校でのジェンダー教育が盛んだとテレビのニュースでやっていました。SDGsだって聞かない日がないくらい。

でも、日本って、いざ行動となると遅れているというのは、もう何十年も言われていることですよね。

 

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 日本のSDGs(持続可能な開発目標)の進み具合は、世界19位にランクダウン――。国連と連携する国際的な研究組織「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)」は2日、世界各国のSDGsの達成状況をまとめた報告書を発表した。日本は年々、少しずつ順位を下げている。弱点はどこにあるのか。

 

私も、あんなにテレビでネットで繰り返し言われたら知識としてはあります。たくさんの方々も、どうあるべきか、についてはかなり理解は進んでいるのではないでしょうか。

「どうあるべきか」を皆が知ったら、そうなるのか、これはまた別の議論が必要だと思いませんか?。

みんなわかっているのに、知っているのに、最後ふたを開けてみたらそうしない人が多いというのが日本で起こりがちな現象です。

個人に、何か判断が委ねられたとして、「うーん、どうしようか、こっちにしちゃえ」という行動の集まりが社会の選択となります。少子化だって政治家がいろいろ考えたところで、夫婦に最後に委ねられ、決断をすることの積み重ねがこの少子化です。

このままだと日本滅ぶぜ、とイーロンマスクに言われなくてもみんなわかってるけど、でも自分が貧困でちゃんとした生活ができられなくなったら意味ないでしょみたいな話の連続ですよね。最後には個人が決めます。

だから、どうあるべきか、の研究は教育やメディアは熱心にやるわけです。彼らは自分たちが社会を変えられるという信念があるんでしょうが、そうは問屋は卸しません。多数の会社の経営会議の椅子に座るのは、かなりの数が男性です。エグゼクティブが集まるような会議はみーんな男性。

役職に誰を付けるかね?という判断を個人に迫られたときに・・、うーん、男性かな、って結局みんな判断しちゃうんですよね。なぜ男性なの?、と問われたときに、その判断をする方はどういうロジックを繰り出すのか、興味はあります。

一方で、さあ判断しようとしたときに、目の前には男性しかいないという話もあります。正社員のキャリアを、出産や育児が絡む女性がキープするのってなかなか難しいのも現実です。家庭の中でどう分担するかとなったときに、男性が出世しやすいことを先回りして、女性のほうが一線を引くというシーンは今も多いでしょう。

そうやって、社会全員で細かい判断を重ねながら、一人が「いや!今からはSDGsだ!自分の判断だけでも変えてやるんだ!」と吠えても、さあ目の前に判断のタイミングがきたときに、選択肢すらないというのが現状かと思います。

だからといって「どうあるべきか」を議論しないのは愚かです。そこはプロセスの出発点ですから。ただ「どうあるべきか」で食っている人たちが明らかにいるのです。彼らは最後に個人がどうするかなんて、責任は持ちません。

だから「やっていること」のほうを調べる、考察するのはとても大事です。なぜやらないのか。やれないのか。どういう構造がおかしくしていて、ロジックをどこに隠し持っているのか。そりゃね、どうあるべきか知っているからこそ、そうじゃないほうを選ばざるを得ない時には後ろめたいですよ。でも背に腹は代えられないわけで、そういうとき、人々は「こっそりと」やるんです。

その「やっていること」の集合体を知ることを、経験と言います。学校を卒業したばかりの人は、びっくりすると思います。なんで社会はこんなにあるべき姿から乖離しているのか、と。それは理由があって・・と言い始めたら消極的なようですが、そうではなく、本当に変えないといけないのは、人々の一つ一つの行動ですから。これを論じないことには何も変わらないわけです。あるべきじゃないことをやっている人を観察し真意を知ること。これが重要です。