マネタイズするという感覚を説明してみる

 

マネタイズというのは、何か事業をやるとして、それによってお金のやりとりを発生させ、全体として事業の主体(大体の場合は自分もしくは会社)が損をしない仕組みのことを言います。

会社員として働いていると、マネタイズのことまで考えません。言われたとおりの時間にオフィスに行って、指示されたことをやって、家に帰ることを繰り返せば銀行口座にお金が定期的に入ってきます。

仮に会社で、売上や原価・経費、利益の計算に携わっていたとしても、それは会社の財布なので、自分のこととして捉えられる人も、これは一部だと思います。

ところが、最近は社会人も仕事以外の時間が増え、何か頭を使って小さくても事業的なことをやることが求められています。会社は社員は必要だけど、年がら年中拘束するような要件ももうない、と言う流れです。生産性の向上は人々を仕事から開放しますが、開放された時間のことまで会社は面倒を見てくれません。

この時間について、マネタイズしないで活動するということも一つ、悪くない手です。マネタイズしなければお金のやり取りはなく善意だけで動くので、失敗しても誰も傷つかないということはあります。

一方で、活動にあたって資金がないので、何も材料を仕入れられないという制約が伴います。施設を使うにしてもお金が必要です。身一つで集まって何かできることしか、活動ができないというのは、事業の内容に大幅な制限を課すことになります。せっかく楽しいアイデアがあるのに、お金がないから何もできない、ではスタートの時点で失敗です。

それでは事業発案者の持ち出しではどうでしょう。たくさんの人に楽しんでもらって、その材料は自分が出す。そうしたら、続ければ続けるほどお金がなくなっていきます。これは継続可能性が乏しい、と表現します。どこかのモバイル事業がそうなりました。楽天的過ぎたということでしょうか。

したがって、適正価格を設定し、参加者から都度いただくことが重要となります。何をもって適正なのでしょうか。それでは、仕入れの材料費や会場代から逆算して設定すればいいのでしょうか。残念ながらそれは違っていて、参加者がその活動から得られる価値を見積もる必要があります。その活動がとても参加者にとって重要で、なくなってほしくなくて、もっと継続してほしい。そんな思いがあれば、ある程度の価格を設定可能です。一方で、あまり価値を得られなかった。となると一度は参加してくれますが二度はないということになります。価格設定が高すぎると、その価値を表現するのが大変だということになります。低すぎると、継続可能性が乏しくなります。この間を適正、と言います。

あまりに安い価格を設定し、高い価値を提供するとどうなるでしょう。たくさん人が集まりますね。そうなったときに、そのたくさんの人たちに同じように価値を提供し続けられることをスケールすると言います。事業は大きくなったときのことも考える必要があります。大きくなりすぎたときに、手が回らなくなり、参加者がつまらなく感じるかもしれません。この場合、あえて価格は高めに設定し、あまり人を集めないという戦略も成り立ちます。すべての人に高い価値を与えるのではなく、価値に基づいてプランを分けるのです。人によって何を価値と考えるかも様々ですから、逆周りして価格やプランを設定するというのも事業の醍醐味です。

私が、地域などで行われるいろいろな活動を見るにあたって、このマネタイズする感覚が非常に日本人自体、不得手であることを感じざるを得ません。むしろ、お金をいただくのが悪い、という感覚すらありますが、これは違います。価値を提供することが事業ならば、継続可能性を考えつつ、かつスケールしたときのことも考える。また、事業そのもののことをたくさんの人に知ってもらわなければ、また活動が続いていきません。このあたりを勢いだけではじめてしまい、結果として立ちいかなくなる例をたくさん見ています。お金を頂くことそのものは、価値を伴うならば堂々と行い、そして参加者を満足させることに集中するべきです。

マネタイズするという感覚は、まず参加者の気持ちを考えつつ、そして自分も無理がないこと。いわゆるウィンウィンをどう、金銭的にも時間的にも成立させるか。もし手が足りないなら、人件費だって要件に入ってきます。バランス感覚は求められますが、たくさんの人が身につければ、もっといろんな活動が継続していくのに、と思う次第です。