orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

コミュニティーを作ります

 

ここ最近、いろいろ考えさせられることが内外で起こって、気持ち的にも混乱したのだけど性格的には立ち止まったり足がすくんだりすることはないので、とりあえず、前に進むことにしたい。

特に考えたのが、自分と自分の身の回りの関係のこと。基本的には私のような会社に勤めているタイプの人は、会社と家族の日本足だと思う。でも、会社ってどうなんだろう。なにか風が吹けばなくなるような関係性じゃないのか。転職・異動・転勤、なんでも可能性はあるし、それに加え、定年という景色もなんだか向こうの方にぼんやり見えてくるお年頃でもある(私が)。心は若いままなのにね。その先は実は崖なのかもしれない。家族ってどうなんだろう。会社の関係がなくなったり崩れたとき、家族一本になってしまうのはどうなんだろう。家族への強い依存は、かえって家族の自由をも奪ってしまうんじゃないか、って。家族にも自由がある。

そう考えると、会社にも家族にも縛られない、そして立場や年齢、性別なども関係ないなにか新しいコミュニティーをほとんどの人が持つべきじゃないか、って思った。新しいそれが、一体なんの意味を持つかはやってみないとわからないけれど、とりあえず止まってはいられないな、ということが、会社でも家庭でも同時に起きた。昨日書いた、変化の痛みというのはまさにこれだ。

会社は、仕事がうまくいかないと影響を受ける。家族は、何か揉め事があると冷え込む。やっぱり深い依存は自分を不安定にする。何かもう一つ必要なはずだ。冗長化?と言うと堅い表現だが、いろんな軸を持って人間としても幅を持ちたい。

ツイッターもやっていてごくごくゆるくはつながっているけど、「いいね」だけではコミュニティーとは言えないなという感想もある。私があなたを知っていて、あなたが私を知っている、という状態。これが参加者全体で広がるとき、これはクローズドな世界であるべきだと思う。

そう、ある人が私を知っている、私がある人を知っている、この両方が一致することで自分の存在の解像度が上がる。ネットでは、インフルエンサーなど、「たくさんの人が自分を知っている」という状態は作れるが、逆方向が成立しない。だから、孤独感にさいまれるのではないかという仮説を持っている。

特にITの領域で働いていると、生産性が何より優先される。その時、人の時間を減らせば減らすほどコストは減り、経営には喜ばれる。その結果、少人数ユニットで仕事が回るようになっているのが現代ではないか。そうなると会社に行っても、少人数としか会話をしなくなる。そして会話の複雑性も下がっていく。会社自体が昭和の時代から担っていた、社会に属している感覚も、危険な状態にあるのではないか。みんな出社すら嫌がるし、社員旅行や会社イベント、飲み会などは、このコロナ禍で葬り去られたようにも思える。

まず会社がそんな状況で、次に家庭や地域との関係。特に都会にいると思うのが、隣に誰が住んでいるのかも知らないで過ごせるプライバシーの過度な保護。しかも平日はずっと仕事なので、結局は地域とは絡まず、家庭とのコミュニケーションだけ、ということになる。

この状態を社会人になって二十年以上続けたけれど、とてもとても限界を感じた。会社が悪いわけでも家族が悪いわけでもないと思う。私がこの状況を放置してきたことにも起因する。しかし、もう限界を迎えた。そう思ったとき、そういえばこのブログの存在を思い出した。

多分に、読者の方にも第三のコミュニティーにご興味を持たれる方も少なからずいらっしゃるだろう。ただただ、集まれるだけの場。これをネットも活かして作っていきたい。今、着々と準備を整えているので、準備ができたらお知らせしたい。

なお、今考えている構想は以下の通りである。

① 私が平日の夜間時間帯に必ず現れるSlackチャンネルに参加できるプラン(参加者全員との会話)

② SlackのDMで会話ができ、場合によってWeb会議やリアルでフォローする(1 on 1前提の会話)

③ ②については独自のプライベートSlackチャンネルを作り相互理解も高める

こういう運用設計は、なんだか仕事みたいだけど、自分視点で全部作れるので正直楽しい気分になっている。

コミュニティーで何かを達成したいんじゃない。ファシリテートもいらない。モチベーともパーパスもいらない。ただただ、集まって、相互を知っていく、そんなコミュニティーを作りたい。

形ができたら、ご案内していくのでお待ちいただきたい。

ちなみに、noteのサークルで作る予定です。