orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

一見安定しているシステム運用の現場が、急に危機になる理由

 

知床遊覧船の事故について、犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、行方不明者の無事を願っています。

 

この件のバックグラウンドを調べると、学ぶべき話が聞こえてきた。

 

toyokeizai.net

観光船を運航する「知床遊覧船」(北海道斜里町)は、2020年末に退職した元船長の男性によると、21年3月までにスタッフ5人が辞めた。会社側の人員整理方針と意見が合わなかったためという。

他社の船長によると、大量退職後、知床遊覧船の船が岸に近づきすぎたり、定置網の近くを通ったりする様子が目撃され、「操船技術が未熟だったようだ」という。「普通は座礁なんてしない。いつか人命に関わるような大きな事故が起きるのでは、と心配していた」と話した。

 

この、ベテランが抜けたあとも経営を続けなければ行けないときに、そのときに年長である人が権限を握るも、能力がおぼつかない、この状況はITの世界でも起こりうる。

システム運用は大昔は、止まったとしても会社機能が危機に陥ることは稀だった。基本は人間が把握し、補助的にシステムがあるという状態がはじめだった。

システムは、そろばんだったし電卓だった。例えなくても紙と鉛筆があれば仕事ができた。システムは道具にしか過ぎず、道具が使えなければ頭を使えばいい。それが通用した時代は確かにあった。

もう笑い話だが、表計算ソフトで作った結果を印刷し、電卓で計算することを必須とする現場があった。それぐらいコンピュータは信頼されていなかった時代があったし、例えシステムが止まってもビジネスは継続できていた。

ところが今はどうか。そもそもシステムそのものがサービスであり、ビジネスの根幹であり、止まることを許されない。止まったら人間社会そのものが危機となる。メディアも大きく取り上げる。会社の信用が失墜する。それぐらいのインパクトがシステムに対して含まれるようになった。

会社システムがセキュリティー攻撃に襲われ工場が止まる、という話も今では一般的なものになった。

それぐらい、本番のシステム運用はヒリヒリしたものになったが、どうやって永続的に体制を作るかについて、実は知床の件を想起させるような事態になることがよくある。

システムはITを基盤にしているため、できるだけ人の手を煩わせないようにどんどん自動化する作りとなっている。変更をあまり加えないシステムは最終的には人手がどんどん不要になりシステム要員もどんどん削られていく。

ところが、最近はシステムに対する変更要求がどんどん増える。それはシステムがビジネスそのものとなっていて、そしてビジネス環境が目まぐるしく変わるからである。

そろばんや電卓の仕様がころころ変わっただろうか。変わらなければ不具合もそうそうは起きない。やはり問題が起こるのは、システムに対する要求が変化するときである。

今のシステムが変化に対してコストがあまりにもかかるので、アジャイルやDevOptsなど新しい概念は登場しているものの、まだまだ正解までたどり着いていないのが現状だ。システム運用の正解があるなら世の中はこんなに混乱してはいない。

現場のシステムエンジニアはこのような状況に関して、粘り強く対応している。それはそれとして、影響が甚大になるのがわかっているので、慎重に対応する。結果、平和が保たれているのだけれども、この功績が、一部のベテランに依存しているような気がものすごくするのだ。

前述の通り、システムは自動化を基本とするので、ベテランは変化すらも自動化にて対応する。どんどん自動化が進むので、ベテランへの属人化を高める。ある日、ベテランが突如退職するとシステムは危機に陥る。今は健全に動いているが、なにか変更依頼があったときに誰が指揮するのか。管理ができるのか。

それでもやらなければいけない、と、年長者が対応し始めるが、おぼつかない。これはいつかなにか起こるぞ、というのは現場の誰かはわかっている。でも経営に話をしても通じない。これまで大丈夫だったんだから。がんばりなさい。そして、来る日は来るのである。

結局の所、人間には寿命があるが、会社には寿命がない。会社に人が入れ替わり続け、経営が成立すれば永遠に続けられるという立て付けである。が、これは机上の空論なのである。中長期で人材計画を立てていないところは、いずれ会社が倒れる。ある日破たんする。これはシステム運用の現場でも同様なのだ。ある日、スーパーマンを中途採用で雇って引き継ぎ完了!、なんて甘いのである。未熟な若手を十年計画で育てるぐらいの話にしないと、急には技術者なんて現れないのだ。

「システム操作技術が未熟だったようだ」

「普通はオペレーションミスなんてしない」

どこかで聞いたような事例であると思う。我々は学ばなければいけない。