orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

オフィスの席から見える風景

 

私のオフィスはパーティションがなく、全体が地続きになっている。その上、私の席は全体を見通せる場所にあるので、いろんな風景がみえる。いや見なくても、音として入ってくるので情報がたくさんある。

私のワークスタイルはほとんどのコミュニケーションがオンラインだが、ただ情緒が伝わらないことだけは間違いないのでWeb会議をうまく使ってしのいでいる。Web会議も結構微妙だなと思うこともあるけど、テキストでのコミュニケーションが苦手な人もいるし許容したい。仕事ができるレベルと、情緒の交換までできるレベルは少し落差がある。ツイッターでもバズってる人もいれば、ちっとも拡散しない人もいて、そのあたりの情緒、エモーションがテキストに載せられる技術というのはあると思う。エモーションのコントロールによって、テキスト情報は彩りや攻撃性まで振れ幅を持つようになる。絵文字やスタンプはこれを補うものであるが、本質ではない。

さて、私自身が長期化するコロナ渦によってどんどんコミュニケーションをモダン化していったことの一方で、人によってはそこまで進んでいない、昔のままだ、と思うことがある。

担当者が、用がある人の席まで言って、ああだこうだ言っている。それも何度も。お互いマスクをつけている以外は昔見た風景だ。おそらくその9割の情報はチャットでも何の問題もないんだろうな、と思う。なぜ直接話しかけるのか。きっと、「さびしい」のかな、なんて思ってしまう。テキストで仕事情報だけの交換をしていると、人と会話をするということで得られることのうち、一部がこぼれるなと思う。エモーションの中でも、信頼とか感動みたいなものだ。これらが交換することで、関係を良化させるのは間違いなく、きっと昔の人々がよく飲みに行ったのはそのせいなんだろう。

でも、仕事で今、それをわざわざやるのは、正気の沙汰ではないなと思う。だって暇じゃないんだから。話しかけられると他の用は中断しなきゃいけなくなるでしょう?。なんで君の要件を強制的に優先しなきゃいけないんだい?。話しかけるということは、現代ではエスカレーションに近く、その話しかけた内容に興味・感心があまりにもないような内容があまりにも多いと、「おまえ、うるさい」となってしまう世の中だと思っている。

そこまで進化しきっていると思っている状況で、このオフィス、なかなかおもしろい。「なんでわかんないんだよ」「そんなのあなたの暴言でしょ」「こっちは忙しいんだよ何度も来るなよ」「わかってないだろ、言われたとおりやれよ」みたいな情報が、”全部を言葉にしなくても”、第三者の私に伝わってくる。長期間のテレワーク経験で私はエスパーにでもなってしまったのかな?と思うくらい。周りの人々はその違和感に気が付かないのだろうか。結構ドンパチやってるのだが、隠し通していると思っているのだろうか。ま、自分には関係のない人たちなのでどうでもいいのだが、結構オフィスって、エモーションが垂れ流しになっていることに気がついた。

社会人生活もなかなか長くなるとね、このエモーションは自分が気づかないうちに相手に伝わることは間違いないと思っていて、非常に気を使うようになる。年を取ると穏やかになるというが、決して違う。コントロールしているだけだ。心の中ではいろんなことが起きていて、それをいかに相手にうまく伝えるかを工夫しているだけだ。もはやテキストのやりとりが中心となってしまった仕事生活においても、エモーションが変に乗ってしまい変に伝わらないように絶えず気を配っている。

・・というのに、人々はこんなに奔放にコミュニケーションするんだな、と風景を見ながら思う。これが好きな人がオフィスに集まっていて、まだテレワーク中心の人々もいるので、棲み分けになっているんだろうとは思うが、私自身のアップデートと、他人のレガシーさを比べ、随分人に寄って差がついてしまったんじゃないかと思っている。そしてリモート中心の人は、多分オフィスに出てきたら、びっくりするに違いない。