インターネットの住人として最近思うことだけど、技術サイト見てれば自分の知識をアップデートできる、と言うのは思い込みな気がしてきた。
技術サイト、と思っているWebページはいくつかあるけど、最近のニュースはSaaSやSIerがこんなサービスを始めた、とか、障害が起きた、など、サービス志向が強いように思う。こんなサービスがあるんだ、ということについて明るくなることは、仕事をする上で不利になることはない。だから毎日目を通しているし、何か大きなアップデートがあれば話題にもなる。
ただし、これは技術そのものの話ではない。何らかの技術を通して実現された何かを、どう使うか、使い方にどう変化があるかという話に尽きる。
以前、サービス志向という言葉が流行ったことがあり、最終的にどんなサービスを行うかが重要で技術はその従属に過ぎないという概念である。対義語として技術志向、という言葉もあった。
そこで議論になろうがならなかろうが、時代は進むわけであり、今はサービス志向隆盛がと思う。どんな言語で実装したか、どんなクラウド基盤で実装したか、ほとんどの人が気にしていない。実際、たいていのことはどんな選択をしてもできるようになっている。サービスが最後にあるから、どの技術も追随してくる。
過去は、この技術を使わないとこのサービスができない、ということはあった。技術論の方が先にあり、Hello Worldから書いてくれるサイトがごまんとあったわけだ。昔は良く見たよね。インフラであればインストールから書いてくれるサイト。言語であれば環境構築から、はじめのプログラムまで丁寧に解説してくれるサイト。どんどんそういう技術論は消えていっていると認識してる。
技術者は、Googleで検索し、似たようなことをしている人の記事を探し参考にして仕事をする。それが常識だった時代も結構長かった。ところが、なんだかそうやって技術をシェアすることが徒労なんじゃないかと皆思い始めてる。互助の精神だったのが、くたびれ儲けの結果がついてきていることの反動なのかもしれない。
むしろ、こんなサービスを自分ができたよ、知りたければ情報商材を買ってね、みたい流れの方が強まってしまった。そしてその流れ自体が胡散臭いので、結果として何も無くなってしまったね、という展開と解釈している。
サービス自体は儲かるので、サービスに対しての記事は多くなった反面、技術そのものに対しての有用な記事は減った。こういう結論で良いと思う。
一方で、技術自体を好む私のような人種については、インターネットがこのようになったことについて、ある種の寂しさもおぼえる。互助の精神、というのがパソコン通信以来のネットの本質だったからだ。あまりにも殺伐としてしまい、儲けることが悪だという思想すらあると思っている。いや儲けることを否定しては、互助というよりは、お互い助け合うことがばかばかしくなるだけだろう。まあこれは、オープンソースにおけるフリーライドと同じ議論なのかもしれない。
本を買えばいいじゃない、とは言うけど、本はだいたい1年遅れだからね。だって、本を書く人も時間は必要だから、最新の技術をフォローするにしたってすぐに出てこないから。昔は技術の世界も「雑誌」がそれをカバーしてたけど、もはや本屋で雑誌を買うなんて、十年レベルでやってない。ITとは相性が悪いんだよね、本って。持っててもかさばるし。
だから、結構、技術を身に着けるってのが難しくなってきた気はするね。