orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

思い出そうよ、コミュニケーションの本質を。

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SNSでもネットメディアでも、他人の姿が見えすぎだと思う。しかも、みんな見栄を張る。いいことばかり晒すのでそれを見てまた卑屈になる人が増える。今日もまた、各種ランキングが掲載され、自分がどの位置なのかを指摘される。情報量が増えれば増えるほど、絶望する人もいるだろう。一方で都合のいい統計を見つけては安心する人もいるのだろう。上もいるし下もいる。

こういった、比べるということに、何か意味があるのだろうか。いい位置にいようが悪い位置にいようが自分の生活が1ミリでも変わるのだろうか。

ネットによって、様々な人の悲鳴が聞こえやすくなった気がするが、それらはネットによって増幅してはいまいか。本当にそれは悲鳴をあげるほどのことなのか。もしネットさえ見なければ、自分の位置を考えることもなかったし、もっと穏やかに生きられたのではないか。

ネットは人と比べるために見るのではなく、人がどんな行動傾向にあるのかを観察するために使っている。往々にして大衆が動く方向に「行ってはいけない」。なぜかというと、何もかも手遅れだからだ。大衆が動いた方向に行ったときに成功するのは、先に動いた人だ。先に動いた人が安く仕入れ、そして大衆に高く売りつける。ビジネスは全部そうと言っていい。だからネットで大衆が動いているのを見て後から行っても、それは流行を追いかけるのではなく、損をしに行っていると思う。大衆の行動傾向を見ながら、次に動くのはどこかを確認するためでいい。

ネットにいる人たちもどこか狡猾で、「みんな、こう言ってるよ」といいうまく先導する人が多い。でもそれも本当かどうかわからない。今回の選挙だって、もう直前はカオスだった。何がなんだかわからなくて、一切ネットを見なかったぐらいだ。結果を見るとやっぱり事前の喧騒とは整合性が取れていない。

ネットにはたくさんの情報が行き交うけれど、8割はどうでもいい話。1割は役に立つ話。もう1割は見てはいけない話。これくらいの態度で付き合わないとどこか影響されてしまう。この感覚を若い、経験のない人たちは持っていなくて、SNSがリアルの人間関係と結びつき、そしてその中での情報がこねくりまわされ、わけのわからない不幸福感を感じているとしたらそれは、本当に残念なことだと思う。情報に対する感度が高すぎる人は、相反する意見が両方あったり、完全にウソだけどロジカルな話を見たときに、ちゃんと判断できるのだろうか。

できれば、ネットを介さず、面と向かって誰かと話をしてほしい。完全な詐欺師などいないもので、ウソをつけばバレるし、態度にも出る。しかしネットだとわからなくなるものだ。コロナ禍で失われてしまった対人コミュニケーションを取り戻して欲しい。こんな誰だかわからないインターネットの戯言など話半分にしておき、人間と話をしよう。そうすれば思考が磨かれ、無作為な情報を無差別に受容することをしなくて済むようになる。

と、わざわざネットで言うことなのかとは思うけれど、ネットにこそこういう意見が必要なのかもしれない。みんなネットに依存しすぎだ。

人と人が話すのに、実は電気もスマホもアプリもいらないのだよ。

思い出そうよ、コミュニケーションの本質を。