orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

人生は運ゲーと言われたら、こう考えればいいという話

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結構、人生って運要素が強く影響してませんか。

いろいろ努力したって最後は運みたいなところがあります。

私も思い返してみると、いろいろと苦労したこともありつつ、最後は運に救われたことも何度もあります。逆に運に救われなかったこともあります。

人生は運によって決まる、と言われると、なんとなく努力する気が失せたりしませんか。だって、運が良ければ努力しなくても成功するかもしれませんし、運が悪ければ努力なんて無駄と言う考え方も、運自体がコントロールできないことから、殊更否定はできないと思います。

いや、運じゃないよ、本人の努力の賜物だよ、なんて思う方もいらっしゃるかもしれませんが、まぁ例えば、何かのスポーツの全国大会を考えると、みんな努力しているのは当たり前の世界です。その上で順番を決めるとして、運要素が何も関わらないなんてこと、あり得ません。努力したうえで運を掴んだチームが上に行くのです。

どうやって、運って決まっているんでしょうね。

この話を考え出すと多少オカルトっぽくなるのですが、オカルトっぽくなるのは全部真実ではないというのは極端でしょう。むしろ科学で解明されていない分野はまだまだたくさんあり全部を否定していたら、二度と新しい事実は解明されません。

人々によって異なる、この、運というパラメータについては、もっと真摯に取り組まなければいけないんじゃないか、と考え出したのは実はまだここ数年のことです。

実は結構、たくさんの人は運を気にしていて、なんとなく初詣には毎年言っている方も多いのではないでしょうか。習慣なので深く考えない方も多いと思いますが、あれだけ人が神社に詰めかけることについて、運と何も因果関係がないのかというと、なにか引っ掛かります。皆、なんとなく新年に神様にご挨拶し、祈願し、一年の中でより良い運を掴もうとされているような気がしています。

初詣はわかりやすいことですが、例えば、挨拶すること一つとっても、挨拶をずっとするのとしないとで、何か対人運が大きく変わって来そうです。挨拶することが何の利益になるか、という統計的なデータは多分何もありません。ただ、偶発的に、普段から続けて来た挨拶一つで何か結果が変わることもあります。思いがけない人が自分を助けてくれるかもしれません。

規則正しい食事、これは何の運でしょう。直接的には健康運ですね。ただ健康になるだけではなく、いろいろな体験をするための体力をもとに、画期的な発想をするなど、自身の健康運がもたらすさまざまな思考や行動の変化が、新しい運をもたらすことがあります。

よくパワースポット、なんて少し怪しめな話題もあるのですが、これも無視はできないと思っています。少し神秘的な自然や建造物に自分を置くだけで、これも人の体や心はダイレクトに影響します。今はなかなか外に出かけることができない不自由な時代ですが、正常に戻ったら、旅をしてみたいな、なんて思っています。せめてオフィスに帰ることが第一目標ですが。家の中ではどうも運気が循環しない感じがします。

抽象的な話ですが、一日一日、よりよく生きようと考えた時。自分自身をいたわり、それでいて周りの役に立とうとし、周りの環境を整え、心を清らかにし、時間を大事に生きていく。品格のある生き方を自分の体に、心に、そして周りに心がければ、実は運が自身に集まってくるのではないかという仮説のもと生きていますが、これまでは個人的に結構いい線行ってます。むしろ、そういう気構えではなかったときにひどい目にあってきて、いろんな方に出会い、そうじゃいけないと思いいろいろ心改めた結果、明らかに運が向上したので間違いないと今では自信を持っています。

運が良いことに感謝をしつつ、それでも明日から運に頼って生きていかなければいけない。せっかくなら運がいい方が良いので、運は100%コントロールできるものではないものの、自分の行動によって影響するんだ、という思いを持って前に進みます。