政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会が、やっと、ワクチン接種が進んだ後の日本の在り方について提言を行ってくれました。長かった。
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会(尾身茂会長)は3日、今秋を念頭にワクチン接種が進んだ段階で、日常生活における行動制限の緩和に関する提言をまとめた。接種の完了やPCR検査の陰性証明を条件に、県境を越える旅行や全国的な大規模イベントなどを容認することが柱。政府はこの提言を踏まえ、来週にも制限緩和の行程表(ロードマップ)を取りまとめる方針だ。
ワクチンが日本を照らす光だと言われながらも、さあ打ちました。で、どうなるの?、という話がうやむやにされてきました。先が見えないのにいつまで我慢しなければいけないの。もしかして何も変わらないのでは。そんな不安・閉塞感が日本を覆っており、退廃的な音楽ライブさえ顕在化してしまったこの夏でした。
いや、それでは国民の気持ちも持たない、というところで菅政権が終了するニュースが流れ、これと同じ日にワクチン後、具体的には今年の秋の姿が分科会から提言されるというのは何という皮肉なタイミングでしょう。ただ、トップが変わる今、雰囲気を変えるには絶好の機会であるとも言えます。
しかし、分科会もこれで目の前の内閣が三代目を迎えることとなり、かなりの辛抱強さでご活動を継続されていて頭が下がります。むしろ尾身会長には民間大臣になって頂きある程度の政治的権限をお持ちになった方がよいのでは、なんてことも思います。
さて、今回の提言ですが、原本はどこにあるのでしょうか。
結構調べて以下にたどり着きました。
上記の「第7回資料(PDF/6.46MB)ワクチン接種が進む中で日常生活はどのように変わり得るのか(PDF/2.25MB)」というリンクになりますがここまでなかなかたどり着くの大変です。デジタル庁には、こういった資料に簡便に辿りつくことができる仕組みづくりを期待したいなあと個人的には思っているところです。
さて、この文書。一番大事なことは何かと言うと、以下のメッセージだと思います。
「ワクチンパスポート、という言葉を使うのはやめよう。パスポートという言葉を使うことによって、ワクチンを打たないと社会活動に参加できないという印象を強く与えてしまう。」
確かに、ワクチンを何らかの事情で接種できない方もいらっしゃいます。まるでワクチンを打った人だけで社会を廻すような印象が全面に出てしまうと、社会に大きな溝を作ることになってしまいます。
そうではなく、ワクチンやPCR検査を元に、他者に感染させるリスクが少ない人を見分けられるようにしようという「ワクチン・検査パッケージ」という名前を提案されています。
これをどのような場面で使った方が良いとされているか。
・医療機関や高齢者施設、障害者施設への入院・入所及び入院患者・施設利用者との面会
・医療・介護・福祉関係等の職場への出勤
・県境を越える出張や旅行
・全国から人が集まるような大規模イベント
・感染拡大時に自粛してきた大学での対面授業
・部活動における感染リスクの高い活動
・同窓会等の久しぶりの人々と接触するような大人数での会食・宴会
・冠婚葬祭や入学式、卒業式後の宴会
逆に言えば、これまで自粛してきた社会活動を、この「ワクチン・検査パッケージ」を保持していることを前提に、拡大しようよ、ということになります。
なんだかワクワクしますよね。これまでできなかったわけですから。
一方、以下の場面では使うべきではないと言う提言です。
・参加機会を担保していく必要がある、修学旅行や入学試験、選挙・投票、小中学校の対面授業等については、基本的な感染防止策を講じることとして、適用すべきではないと考えられる。
全ての国民に参加できる権利があると明記されている社会活動については、ワクチンの有無で差を付けてはいけない、ということです。
議論が今後必要なことも述べられています。
・百貨店等の大規模商業施設やカラオケなどでは基本的な感染対策を徹底することが重要である。なお、その従業員については適用するか否かについて検討する必要がある。
・飲食店については“ワクチン・検査パッケージ”や第三者認証をどのように活用するのかについて検討する必要がある。
今回の提言については、たたき台レベルであり、国民全体で議論を行い、大多数が納得する社会の戻し方を決めていく時期に来ているという内容でした。
まさに私も、そう思っていました。
この先ずーーっと、感染を怖がって家の中に閉じこもってばかりはいられないのはわかっていました。しかし、一方で個人で行動を柔軟に変えても限界があり、社会がより最適化していかないと閉塞感がますます募っていきます。
今後、どのように新内閣の形が見えていくかはまだ未知数ですが、次のアクションの議論を速やかに行い、リーダーシップを持って国民を率いてくれる、そんな展開を熱望しています。
もう、留まっているだけではいけない時期なのです。