orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

自分より能力の低い人を許容する力

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何でこんなこともできないのか。

自分より能力が低いな、と人と対峙する時はそういう気持ちに駆られると思う。自分が上司のときだった場合にどう行動するか。そもそも自分が上司である理由が、部下よりも能力が高いからという根拠であることも多いので、実はほとんどの人が一度は体験すると思われる。

他人ができないとき。その時には必ず怒りが起こると思う。この怒りに対する制御を誤るとパワハラなど、逆に反撃されかねない時代となっている。この怒りはどうにかして自分自身が表現する前に対処していかないと、自分に不利益な形で返ってくると理解したほうがいい。

この、自分よりできない、ということについてかなりSNSでボヤいて発散することを目にする。抽象化しつつ、晒す。そして気持ちを発散する。でも私はこれもよくない対処法だと思う。いくら「いいね」がつこうと拡散しようと、同意の輪が広がろうと、やっていることの趣味が悪い。客観的に考えて、自分の品格を貶めることになりはしないか。そしてそこに学習もない。ただただ発散するだけなので、性格の悪いSNSアカウントができるだけだと思う。それに時間を費やすのは無駄だ。

かと言って、どうしたらよいのか。その怒りを原動力に指導に熱を上げるのも良いと思っていた。そもそもその人の能力を引き上げれば良いのだ。そうすれば、できなかったことができるようになる。これはおそらく原則論に思える。

しかし、だ。何事も限界はある。思いに反して指導がうまく行かないかもしれない。期待した分の進歩が見られないかもしれない。そうすると、怒りが増幅する。やる気がないのではないか。せっかく教えているのに身に着かないというのは、本人の業務適性に問題があるのではないか。そもそも--頭が悪い--のではないか。等々。

最近の私は、もうここまで達してしまったところがあり、むしろ怒りを原動力として何かをすること自体を反省している。確かに怒りは一時的な腕力を引き上げてくれるが、それでも解決できなかったときの反動はもっと大きい。怒りを解決したいのに更なる怒りが沸いてくる現象は勘弁してもらいたい。対処法として間違っているのだ。

今辿りついているのは、ただただ平たんに、「こんなこともできない」という思いがある場合は、「こんなことをしてほしい」とその人の代わりに自分がやってあげて、そこで終わりにしている。指導するのではなくただ見本を見せる。次にできるかは全く期待しないことにした。期待しないから怒りも沸かない。でも、代わりにやることを見せることで成長の機会だけは残す。何度でも何度でも何度でもやれば、いつかやってくれるかもしれないが、それは期待しないでビジネスライクに対応していく。それまでは自分が代わりにやらねばならないのだ。残念ながら。

今回は部下の例を挙げたが、それは上司にも言えるかもしれない。自分より能力が低い人が上司の場合ですらあり得る。年齢や在社年数だけでそのポストにいるかもしれない。そこでいちいち、怒りを振り回していたら、怒りに振り回されていたら、いつか飲み込まれる。制御できないまま年を重ね最後は老害扱いされるのがオチだ。そういう年配の人も残念ながら存在するがそうはなりたくない。

怒りに対処するより、怒りが起きないような考え方や振る舞い方を検討したほうがいい。他人に期待はしない。ただただ、あるべき姿を見せる。それができるまでは、教育などという甘っちょろい考え方はやめるべきだ。残念ながら、人には限界もあれば、モチベーションもある。そんなあいまいなものに期待し、裏切られ、自分に跳ね返ってくるぐらいならはじめから諦める。あるべき姿を常に自分に求めそれを表現し続ける。そこでもし誰かが成長するのなら、それは喜んであげればいい。それだけである。それだけのことなのに、ほとんどの人ができていないことだと、実は思われる。