orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

完璧主義者の完璧なんて全然完璧じゃない件

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完璧主義という言葉があって、聞こえはいい。完璧であることを目標に掲げること。不完全なものを認めないこと。抽象的な意味を考えたらいいことのように思える。

でも、これが人の性格のことを表現するとすれば、こんなにたちの悪い性質はない。この完璧主義という性格は私にも多少宿っているのだけれど、完璧かどうかという基準はいつだって、自分自身の心がもやもやするかどうか。あれ、これ不完全じゃない?。そんな気づきを感じてしまうと、それを解決せずにはいられないという、いわゆる強迫的な現象である。

この性質をうまく利用すれば、細かいことに気が付く、とか、妥協しない、とか、いい面はあるしそれを意識して仕事もしている。いろんなことに気が回る、関心がある。モチベーションが高いなど、いろんな活かし方がある。

ただ、決して忘れていけないのは、結局はかなり主観的な話ということだ。もやもやするから不完全認定するのであり、しなければそれは指摘も解決もされない。だから、神経質な人にありがちだと思うが、そんな細かいところを気にするくせに、こんなところは何にもしてない。なんでそのこだわる部分が局所的で、もっと人が気にするようなところに無頓着なのあなたは、というような指摘を受けたのは一度や二度でもない。

だから、だから完璧主義者の完璧なんて、妄想にすら近くて、本当に完璧を目指すのであればそんな心のもやもやのような適当なセンサーじゃなくって、チェックシートを作って一つ一つ確認していく、のような客観的なモノサシでないと成り立たないのだ。

だから、完璧主義者が心を病む、と言う場合よく周りからは、いろんなことを完璧にやらなきゃと思うから心の負担になって、つらくなるのね、という理解をされる。しかしそれは本当に違う。本当の完璧と、心がモヤモヤすることは全然関係がないのだ。単に不完全であると心が感じる状態が多くて、その状態を放っておくことができないだけ、なのだ。だから、完璧主義なことに悩む場合は、完璧という言葉の持つ何かポジティブっぽい響きに騙されていると思っていいと思う。

繰り返し言うが本当の完璧など存在はせず何かが不完全であるので、もし心を正常に保とうと思うのであれば、不完全な現実を許容しなければいけない。ものごとなど70点ぐらいの得点で十分なのだ。あとの30点は自然現象だし、もしそれを埋めたとしても100点という存在すら主観的なものだ。だから、ある程度品質で、何が起こっても満足すること。

100点じゃないといけない、と考えるより、70点のものを身の回りにたくさん増やした方が、物理的に、完璧な可能性に近づけると思う。

それぐらい完璧主義者と言われる人は、100点にしようと思うあまり、何かにおいては0点であることが多いのだ。おいそれほったらかしなのはなんでだ?!という具合だ。

と言う具合に、私は完璧主義者が病んでいる話を聴くたびに、自分に照らし合わせ、そんないい話しじゃないよといつも感じてしまう。多分自分が完璧主義者だという話をしたら、ある層には「そうだね」と言われるが、ある層には「あほか」と鼻で笑われるだろう。そう、てめえの考えた完璧なんて、完璧と言う言葉に釣り合わないほど、みっともない形をしていることについて知ったのは、ここ最近だ。

今日書いたことというのは、おそらく自分が苦しんできたことを解決してきた思考のプロセス自身なのだが、意外とこの世の中、特にデジタル化されたことでプロセスがリアルタイムに表示されがちなので、完璧主義者的な人はちょっと苦しいのかもしれない。でも、それって、かなり適当な完璧だよね、という指摘をしておきたい。そう考えればきっと楽になれる。