成果主義って就職氷河期世代の私は社会人になりたての頃すごく流行して、はじめに入った会社も何だか影響を受け、評価にその年の目標がどれくらい達成されたかどうかみたいな指標がほんの少し足されたのをおぼえています。
でも結局は、上司から気に入られたヤツから出世していくのが道理で、そのために点数調整を談合のようにし、評価されていきます。
自己アピールが上手だと、一年間大したことしてなくても評価のときだけ超本気だして自分を着飾って、いい評価を得ようとする。これも良くある風景でしょう。でも結局うまくいかないのも知っています。だって、いくら評価制度に乗っかったところで仕事ぶりを直接見ている人がよくわかってますから。案外近くの他人の方が、自分の行動をよく観察していたりします。自分のことは案外自分自身が見えていないことが多い。だって、見えませんからね、自分から自分は。
この成果主義っていう四字熟語に思うのは、このパターンの人をどうするか。
・すっごくできることはあるけど、すっごくできないことがある。(天才 or バカ)
・すっごくできることがない。でもすっごくできないこともない。(平凡)
できたこととできなかったことを、評価制度よろしく数値化すると、これは双方の頻度にもよりますが、打ち消し合って合計0なんてことも起こりえる。
逆に平凡だと、いつもそこそこ点数ということになる。
で、組織には、<天才 or バカ>みたいな尖った人も重要だし、一方で平凡な人はもっと重要だと思います。だって、普通にやり遂げ続けることだって、それは大事な才能だと思う。無難に対応し続けるって結構、難しい事だったりするのを知っています。
成果って、なんなんでしょうね。
売上や利益に結び付けるとだいたい失敗してますよね成果主義。なぜなら、評価制度は1年ですが、人の行動は数年後に実績になることが多いからです。
そんな1年の間に、種まきして収穫する、みたいな米作りのような短期決戦ではないのが仕事です。
おそらく成果という言葉が、人によって解釈を変えられるので、成果主義を進める会社は社員の勝手な解釈の標準化に失敗し、結局は冒頭の、「気に入られた人が成果を上げたことにする」的な忖度まみれの制度ができあがり、あれ、成果主義って何だっけ、ということになるのでしょう。
まああとは、仕事はチームでやるものなので、個人単位の成果を定義するのが難しいです。AさんはBさんといっしょにいるから仕事の成績がいい。でもBさん単体だと仕事はぱっとしない。こういうときにBさんは、Aさんのアシストをしたから成果にするのかどうかっちゅう話です。
私は評価制度というものをとてもドライに見ていて、やっぱり権限がある人が、部下を推挙したいという動機があって、それに後付けで評価制度が存在しているだけだと思っています。嫌われたら、すごくできる人でもけちょんけちょんに悪い点数付けられるのが世。
そう考えると、成果というのはおそらく、お金に換算できるような定量的な何かではなく、誰かに感謝されたとか認められるとか、支持されているなどという、信頼貯金のようなものを表した言葉なんだろうなと思います。
ここ最近、ジョブ型人事の流行で、成果制度がまた脚光を浴びているとか。
さてさて、富士通に二度目の正直があるのかは静観するとして、人事評価というのは「その人に会社に残ってもらいたいかにおける会社の誠意」だと思います。
きみはできる!すばらしい!といくら言われたって、給料上がんないとね。
福利厚生が恵まれてるやら面白い人事制度があるやら、誇っている会社もあるけど、結局給料でしょ、と思う。