orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「誰かに消費される生き方」をしないためには

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すごく才能にあふれる人で、すごく機会に恵まれて活躍しているように見えても、必ずしも幸せになれるとは限らないな、と常日頃思います。

この世の中は、才能があるかもしれない人を常に追い求めています。もし何かで活躍しようものなら「天才か?!」と注目されます。

その際に本当に才能があるかどうかはまだ見切り発車であることが多く、次の活躍を追ってメディアが記事を書いたりSNSで注目されたり。

しばらくこの注目は続きますが、本人がそこから活躍できるかはまた別問題です。人によっては、毎日プレッシャーになっていきます。ちょっとした行動でも反応されるようになるので、緊張状態が続きます。

まだ数か月、半年くらいならいいのですが、1年、2年と続けて行くうちに、その活躍の源泉となる情報が少しづつ失われていきます。天才と言われるゆえんだった成果物の品質を保つためには努力が必要です。何の努力もしないで天才と言われ続けることは、絶対に無理です。努力しないで成果が出せるのが天才と言う意味なら、実は天才なんていないのかもしれません。

この世間から浴びせられる無言のプレッシャーと、成果を出し続けるために裏で行う必要な努力。2つのバランスが崩れ、品質を落ちようものなら「あの天才は終わった」と平気で言うのが世間の悪しき習慣だと思います。

学校や塾などの特待生制度にも似たようなところがあり、無料で学校に迎えるとき、学校はその特定の生徒に成果を当然のように要求します。高校野球なら甲子園レベル、音楽なら全国や世界レベル、勉強なら有名大学合格レベル。無料なのは優秀だからなのですが、逆に優秀でい続けるために無言の圧力と戦う必要があります。

本来は学生は教育を受ける立場にあるのですが、逆に結果を出さなければいけない、仕事をしているようなものです。仕事と考えれば実は学費なんて安いものです。学校や塾も慈善事業ではありませんから、お金を出す以上はリターンを期待しています。

この例のように、祭り上げられて成果を出し続けないと叩き落される立場。そしてその立場が日々自分自身を消耗させていく現象を「誰かに消費される生き方」と私は定義しています。

芸能人、スポーツ選手などに限らず、実は誰でもこの現象にはまり込んでしまう危険性があると考えています。

成果を出し続けたいと思うこと自体にリスクはありません。しかし過度に成果を出す行為ばかりに集中しそれ以外のことを考える時間が無くなるようであれば、それは自分自身が消費されている状況です。消費されつくしてしまうと何も出なくなります。継続して生産していくためには間違いなく休息が必要です。そしてそれを自分で管理できればよいのですが、実際は自分の状態を近くで見てくれて、もし危険な状態ならば止めてくれる人も必要です。自分のことをよく知ってくれる人。立場は誰でも構いません。成果を出し続けられる人は必ず周りに強い味方がいます。顔色が悪ければ止めるし、悩んでいれば優れた聴き手になります。

誰でもいいので長く活躍している人を思い浮かべてください。その周りには強いサポーターがいるはずです。ただそう言った人たちはたいていは表に出ることを嫌うので、ひっそりと支えているかもしれません。期待にこたえ続けるために不健康な状態にならないよう、いろんな工夫をしているから続けられるのです。もし自分一人でそれを完結させられるのなら本当に成熟した天才なのですが、そこまで成長できるためには誰かの支援が必ず必要だと私は思っています。

昨今、あんなに優秀で活躍していた人がなぜ?!、というようなニュースをよく耳にします。これはSNSの進化でより世間が才能をどん欲に探し消費しようとするスピードが増している影響ではないかと考えています。そのプレッシャーにこたえようとして加速するとより期待値が上がってしまう悪循環です。消費されないためにはSNSを見ないようにしたり、周りにマネージャーを置いて強制的に休みを取らせたりなど、昔より圧倒的に工夫が必要な時代だと思います。

この話題、自分は関係ないと思う人がいるかもしれませんが、実は誰でもこの消費される関係になり得ると思っています。誰かに期待されるからこそ頑張れる、というのはごくごく普通のことです。知らない間に消費される関係にならないよう、絶えず自分に余裕があるのか、身近な味方を頼りながら休みを取るときは取っていく必要があります。誰かに消費される生き方をしてはいけません。