orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

休みがいらない、コロナ禍に感じたこと

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三連休だ夏季休暇だと、最近休みが多いのですが。

このコロナ禍で、仕事してる方がマシだと思うことが増えてきました。

休みと言っても、できることが限られ過ぎる。

外に行ってもほとんどのイベントが休止。

外食も相当に気を遣わないといけない状況。

そもそも、外食だけで成り立つお出かけってできますか?

イベントに行った用事に外食があると思うのです。

外食だけに出かけて帰ってきても、外食自体でエンターテイメントたりえるかと考えるとなかなか厳しいものがある。

まあ、観光だの旅行だのというものが非常にやりにくい状況で、ローカルイベントも限られている状況で、休みだけがポツンと浮いている。

 

だから、コンシューマゲームや電子書籍、動画配信などの調子がいいらしいですが、もう本当、飽き飽きしてるんですよね。仮想空間に逃げるのは。仕事がディスプレイとにらめっこなもので、仕事もディスプレイ。遊びもディスプレイ。おいおいディスプレイに囚われてしまったのか私。

外に行きたい。でも外は今暑いですよね。外に行くハードルが上がっている。だから建物の中に入りたいのですが、コロナ禍においては密を避けよと。

どうどうめぐりして、三連休の三日目に、「休みがいらない」なんて記事を書き始めたわけです。

 

話は逸れて、この前米津玄師氏のインタビューを読みました。

 

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できあがったときの感想としてはだいたいいつも一緒なんですけど、「果たしてこれでいいんだろうか?」という。ここ3カ月くらいいろいろあって、ツアーもそうですけど本来やりたかったことや決まっていたこと……ライブもそうだし撮影ができなくなったりして、それによって企画が変わってしまったりとか。「じゃあ俺は何を作ればいいんだろうか?」と考え始めて、家にこもって1人でずっと曲を作っていましたね。それで結果的には本来作ろうと思っていたものとは違うものになりました。

 

自分の未来が急に変わった時に、人は何をすればいいのか。

今回のコロナ禍の特徴は、「何もするな(ステイホーム)」と言うことに尽きます。

何もしないことって苦痛ではないですか?。

何時間も、目的なくただただ過ごすって、囚われているのと変わりがない。

だから、休みには、いろんな遊びを体験したいと思い、出かけていた。

しかしその遊びが、今は無くなっている。

米津玄師氏が強いな、と思ったのが、作るということに没頭できたこと。

作るという目標を自ら建て、そして成し遂げたこと。素晴らしいな、と思います。

私には仕事があり、仕事がある日は目的が与えられるのでまだ恵まれていると思う。

しかし、休みになるとふと思う。この休みを活かす方法がない、と。

世の中の閉塞感は、休みの日にこそ、たくさんの人に突き付けられていると思います。私も含めて。

 

昨日、お笑いの番組を見てたのですけど、発見がありました。

ベテランほど、このコロナ禍を経ても、安定したパフォーマンスが出せている。

しかし、最近は第七世代などと言われてきた若手は、明らかに動揺している。

それは、最近舞台に立てていないこと、そして無観客の影響ではないか、と。若手は自分たちのネタについて、観客の反応を参考に組み立てて来た。日々の舞台でウケがいいものをテレビに持ってくる。そんな日々を送ってきた。

ところがこの半年舞台がない。自分たちのネタに対してモノサシが無い状態が半年続いた。時間だけはあるのでネタは作れたが、そのネタを披露する場所がない。無重力の状態でテレビに出なければいけないから、彼らには「経験」がない。出たとこ勝負を強いられ、しかも今は無観客であり、今もって反応がない。

一方、ベテランには、これまでの厚い経験がある。自分たちの笑いに対して絶対的なモノサシを確立している人は、無観客であっても、再現させられる記憶がある。自分たちが行ってきたことが何なのかを、客観的に知っている。

この差は激しいなと感じました。

 

結局、娯楽とは、今の世界や価値観の延長上に存在するもので、かけ離れすぎると「リアリティーがない」と判断され楽しさを感じられません。

休みにおいて、余りある過去作品をディスプレイを通じて消費する時間は、このコロナ禍で与えられました。映画を数十本見てもいいかもしれない、ゲームに没頭してもいいかもしれない。何か作品を作る時間に充てることもできる。

しかし、それらが今価値を持てないのは、それらが作られた背景が、コロナ禍前の価値観が前提だからです。

「今は、違うよね」

全ての作品のリアリティーが消え去ってしまうから、休みが充実しないのです。

全てが疑似であり、真実ではない。

 

どうも最近、あるはずだったオリンピックの幻影で休みが増えていて、この休みの消化不良感と、仕事の日の充実感のコントラストを感じることが多く、その正体についてまとめておきたい。ということで今回の記事を作成しました。

コロナ禍は、感染による直接的な被害だけではなく、行動制限や経済への影響、それによる人間関係の悪化がポイントになろうかと思います。

特に、余暇を文化的に過ごすことが大きな制限を受け、クリエイター側も価値を持たせられない苦難を抱えることになりました。

この休みがいらない感覚はそのあたりから来ているのだろうな、と。

仕事は、今、に則していますから、まだ生々しい感覚があります。

だから、仕事が保たれている人はまだ幸せです。

休み、をどうすれば充実させられるか。

長期化するコロナ禍で、解決しなければいけない問題となっています。