決断力、何かを決めてやりきる力というものはあった方がいいのですが、社会を見ていて、物足りないなあと思うことはよくあります。
何らかの集団ができたときに、誰がリーダーをやるか、というときになかなか決まらず、じゃんけんやくじ引きなどで決めるという場面をよく経験しました。なぜリーダーが嫌かというと、「決断しなければいけないから」ということに尽きると思います。
メンバーに徹すれば、報告だけすれば責任を全うできます。
そして、リーダーの決断に対して、もし気に入らなければ批判をすることができます。何も自分自身は決断することなく、人の決断に対して批判をし、自分の好きなように軌道修正を行わせます。
責任を負うというのは、決断したことについて、最後まで結果を把握し最善を尽くすということになろうと思います。
この決断する役割を避けようとするのはなぜ発生するのかな、と疑問に思いいくつか並べてみました。
①面倒くさい(仕事が多くなる)
②失敗したら責められそう
③目立ったら、変な恨みを買いそう
④批判する人が必ず出てきて、その人と対立するのが嫌
このぐらいかなと思います。
①面倒くさい(仕事が多くなる)
もしビジネスでやっているとしたら、仕事が多くなればその分給与も増える傾向にあるので、本来なら買ってでもやるべきかなと思います。
しかし、単に仕事が多くなるだけで、何もメリットがないような、例えばアルバイトや、自治会のリーダーや、マンションの理事会の役員などは、これに当たるかもしれません。
なお、単に金銭的な報酬だけではなく、やりがいとか、決定に主体的に参加できることなど、様々な報酬は存在すると思います。
②失敗したら責められそう
これが最もリーダーを避けるケースなのかもしれません。
不思議なことに、責める側はいつも強いです。決断した側ではないので無制限に批判することができます。
しかし、そもそも決断する役割から逃げたのですから、あまりにもリーダーを責めるのは「無責任」とも言えます。
逆に、批判者は無責任だとして嫌われるケースもあります。
だいたいそういう時には「あの人は、自分から動かないくせして、人の挙げ足ばっかり取って、嫌い」となります。
最近はその傾向まで浸透し、結果として「何も言わないし参加もしない。とりあえず振られた仕事だけは全うする」という立場に落とし込まれる人が圧倒的に多いなという感想を持っています。
③目立ったら、変な恨みを買いそう
この、ステルス的に決定権者を批判するやり方、ジメジメして嫌ですよね。
でも、このケースはたくさんあると思います。
リーダーの立ち回りが難しいのはこの点だと思います。リスクを感じます。
大半のうまく行かなくなる組織は、このリスクが発動してバラバラになるのではないでしょうか。
対面では不満を言わないのに、リーダーがいないところでメンバーがグチグチ不満を言う。どんどんメンバーのモチベーションが下がってきます。
会議をしても、誰も発言せず、リーダーが決めたことにも体温低めで反応します。
最後には、クーデターを起こすかのようにリーダーを集中攻撃したりするケースもあります。
組織の初期段階で、このケースを頭に入れて、リーダーは権限を行使する必要があろうと思います。メンバーが何も言わないからと言って、独断で進めて行ったら、しっぺ返しを食らうかもしれません。
逆にこれを恐れて、決断できないリーダーになるのもダメです。難しい。
④批判する人が必ず出てきて、その人と対立するのが嫌
もうやる前から、リーダーはダメ、絶対嫌、と言う人はいます。
批判する人は当然出てきます。メンバーは批判しているつもりはなくても、リーダーには批判と映る場合もあるでしょう。
決定権者となった場合、批判に耳は貸す必要があります。
でも、最終的に決定するのは自分自身です。それが決定権者ですから。
あとは、むしろ意見を言ってくれたことに感謝し、なぜ自分がこう判断したかを精一杯伝えることでしょうか。
それでも、対立関係になる可能性はあります。
これはもうしようがないことかなと思います。会社なら、本当に従わないなら異動させたり退職の方向が良いのかもしれません。
ということで、「組織あるある」のようなことを考えてみました。
結局、
・リーダー(決定権者)
・リーダーの指示に主体的に動くメンバー(支援者)
・リーダーに指示されたことしかやらないメンバー(傍観者)
・批判的でありしぶしぶ動くメンバー(批判者)
と言う組織の中で、リーダーと言うポジションに漂うリスクが怖そう、と言うことになろうかと思います。
大半の人は傍観者ポジションに陥りがちで、しかし給与は下に行くほど安くなりがちではないでしょうか。
いろいろと思い当たる節があるのでまとめてみましたが、興味深い現象です。