orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

学校はトロッコ問題を避けるべきか

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トロッコ問題が学校で取り上げられ炎上

トロッコ問題ってご存知ですか?

 

mainichi.jp

山口県岩国市立東小と東中で、「多数の犠牲を防ぐためには1人が死んでもいいのか」を問う思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業があり、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、両校の校長が授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪した。

 

最近はSNSがあるから学校も大変ですよねー。子供にSNSを規制したところで親がやるわけだし、地域の炎上は日本中に延焼する可能性があります。

ちなみにトロッコ問題について定義をしておきます。

 

ddnavi.com

 トロッコ問題を知らない人は少ないだろう。

・暴走トロッコがこっちに来る
・このままでは、5人の作業員が轢かれる
・自分の前にはスイッチがあり、進路の切り替えが可能
・切り替えた先では別の作業員1人が轢かれる

 1人を犠牲にすることで5人の命を救うのか、なにもせず5人を見殺しにするのか、の有名な二者択一の問題だ。

 

知らない人は少ないだろうと断言され、ああ少ない人なのか私はということできちんとメモリーさせていただきました。

むしろ今回のニュースで有名になるのかもしれませんけどね。

 

考察

いくら、大人がトロッコ問題を覆い隠して子供の心を守ろうとしたって、そんなもん目の前で堂々と行われていることなんですよね。

組体操で何人も骨折するのがわかっているのだけれども、やめたらやめたで保護者や地元の関係者やら教育委員会やらから、なぜやめたんだ。楽しみにしていた子供もいたのに。たくさんの人から苦情を受け取りそれに対してたくさんの説明を行いたくさんの人々が険悪になるくらいなら、数人ぐらい骨折するかもしれないが大丈夫だろうとか。

いじめで明らかに不登校や自殺行為等の問題が起きたにもかかわらず、保護者や教師、教育委員会を含めて事が公になったときに受ける学校のイメージダウンや生徒が将来、問題の起こった学校の在校生だった事実が思いもしない不利益を及ぼす可能性やらなにやら考えて、学生は該当の問題で口封じをされ外で話をしないように指導され。いつの間にか関係者の説明会が粛々と行われ一年経ったら何もなかったかのように振る舞う大人のことだったり。

明らかに異常気象で夏場に地元のお祭りを行うのは危険を伴うけれども、楽しみにしていた人も多く、「危険だからやめよう」なんて言い出すと地元の人々から仲間外れになるかもしれないという同調圧力のもとに、いつのまにか「どうすれば安全に実施できるか」という問題にすり替わり、何人か案の定倒れるけれども事前に想定しておいてよかったねなんて、またすり替えの議論を繰り出してきたり。

少数を犠牲にして多数を守ろうという話は、子どもは目の当たりにしてきて、自然と、ああ社会ってきれいごとばかりじゃなく汚いこともいっぱいあるのだなと自分で悟りながら、たくましく社会で生きていくみたいな日本教育は大昔から何一つ変わらないのかなとも思います。

一部の親は多分こう言うのでしょう。

「もちろん社会はきれいごとではない。でもだからと言ってまだ未成年なのに、トロッコ問題のように単純化してひけらかすと、子どもが社会に対して不安を持ってしまうのではないか。」

どれだけ、社会の情報を包み隠せば、トロッコ問題が日常茶飯事の社会の現実を子どもに隠し通せるのかは私は懐疑的です。この山口県の授業で行われた心の専門家による授業はおそらく、子どもに矛盾だらけの社会がこの先待っているけれども、それは究極の選択のような形で仕方がない場合もあるんだよ、と言いたかったに違いありません。大人になった時に選ぶことすらできず社会に適応できなくなるケースもあることから、教育の場でこの問題を持ち出すことに理があるという判断も、無くもないでしょう。

ただ、むしろトロッコ問題を持ち出して発見する大多数の子どもがいる側面で、一部のまだ準備できていない子どもの心をいたずらに不安にさせる可能性も残っており、トロッコ問題を教育に持ち込むかどうかということが、トロッコ問題なのだと言うことも言えます。

 

個人的な意見

私の経験則から言えば、子どもは相当な大人の矛盾に満ちた行動に気が付き、傷ついていきながら強く育ちます。仮に親や学校が情報統制に成功したならそうならない可能性もあるかもしれませんが、私は無理だと思いました。多くの事実を子どもは気が付きます。大人のきれいごとと、汚い大人の行動は、小学校高学年から中学生ぐらいの間に相当目にすることになります。どうやってこれを隠し通せるのか、私にはわかりません。

トロッコ問題のような形で、社会はそんなにきれいごとのように成り立っていないと言うことをはっきり伝えることは、私は悪いことだとは思いません。

ただ、傷つく子どももいるらしい、ということはこれもまた真実で、トロッコ問題を是とする私は「仕方ないじゃん、それが現実だし」と言うのですが、トロッコ問題などないという前提で教育はやらないといけない、みたいな人には話は通じません。

いったい誰が不利益なのだと。

それはもうパワーゲームであり何とも理不尽な話です。理不尽だからこそ社会なのかなということでその点については全然違和感がない問題でした。

私は、学校制度自体(特に小・中・高)が制度疲労を起こしていて、かなり今の子どもたちに無理をさせていると感じているので、学校がトロッコ問題を避ける今の世の中には批判的です。全員が助かる方法なんてないと思うんですけどね。

学校制度は一度ゼロベースから考える必要があると思うのですが。

 

「正義」は決められるのか?