orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

何かを続けるためにやるべきこと

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仕事を続けるためには

何だかすごくいい文章に出会えたので紹介しておきます。

 

ten-navi.com

 

切り取ると何にも伝わらないので、ぜひ全文を読んで頂きたいです。

 

感想

著者の紫原さんは作家ですので、完全に文章を書くことが仕事です。したがって、私のように半分趣味でブログを毎日更新している立場とは少し異なります。本業はシステムエンジニアですから。ただ、ブログを更新し続けるためにやるべきこと、と考えるとぐっとくるものがあります。

 

 

「喋ることより、歌うことより、踊ることより、書くことがその人にとって一番得意なことで、書かなければ世界とつながれない人。そういう人は続けられる。作家になりたいって人は続かない」

 この言葉がかなりしっくりくるんですよね。なぜブログなのか。インターネット草創期は「個人ホームページ」なるものが流行し、その後ブログの波が来ました。2000年にまで遡ります。

 

 

wired.jp

 ウェブログ(略してブログ)とは、ウェブ上にある興味深いコンテンツへのリンクとその批評を記した、定期更新されているリストのこと。大半のウェブログは個人が掲載しているものなので、正確な数を知るのは難しい。しかし観測筋によれば、ウェブログはかつてないほど増加しているという。

 さすがに2000年のころの記事だけあって、内容は的外れ感もありますが資料としては面白いものです。しかし、個人ブログがそんなに流行しているとは思えず、むしろSNSのほうに人々の関心は移ってしまっているように思います。

でも、私はSNSじゃなくブログじゃないといけないんです。SNSでは世界とつながれない。リアル社会では人付き合いがめんどう。書くことで世界とつながれるブログが存在し、それを更新することで多くの人に読んでもらえることが、続けられる原動力となっています。

 

 

そんな個々人固有の物語を、ネット上のさまざまなプラットフォームに乗せることで、誰もが表現者になれる。バズコンテンツを作ることだってできる。インターネットではそんな風に、誰しも一発くらいなら当てることができる。もしかしたら、二発、三発くらい続けて当たるラッキーもあるかもしれない。

でも、そんなラッキー頼みでさすがに10年続かないことくらいはわかる。私が文筆を仕事にしたのは2015年からで、今年は4年目。幸いにも今のところお仕事は途切れずにいただいているが、そうはいっても10年の折り返し地点にも立っていないわけで、道のりは長い。

 これがとてもよくわかる。一本の記事の寿命は持って3日です。何回かラッキーを経験するとわかること。アクセスは元に戻るということです。続けていくと「バズる」という成功体験とともに、当たった後次にどうするかというプレッシャーが同時にやってきます。仕事ではなくても、続けていくということは非常に精神力が必要です。一回当てて終わるだけなら簡単。でも、続けていくことは、仕事でもブログでも同じことのように思います。

ちなみに、書いても読まれないというときの邪悪なエネルギーを私はどうしているか。また新しく書くんです。それでも読まれないならどうするか。また書くんです。一日に何本も書くときがあるのですが、それは邪悪なエネルギーすら書くエネルギーに変えるという、永久機関のようなことをやっているからです。プラスだろうがマイナスだろうがエネルギーであることは確か・・です。もしかするとそれを「すがりつく」と言っているのかもしれませんけどね。

 

 

 「書くことしかない人って、たとえ仕事がない時だって、頼まれなくても何かしら書いてるんだよね

 うん、そういうことなんです。書くということは、多分に息をすることぐらいに生き方の問題で、だから私はブログを続けていられるんだと思います。よりよく書く、ということは難しいのかもしれないけれど、自分の書きたいように書く、のは生きることそのものなので簡単なのでしょう。

そういう生き方ではなければ、別のことに「すがりついている」のでしょうね。

 

 

とはいえ、そうやって書くことは続けられたとしても、やっぱり仕事として続けられていなければ、物書きとして10年生き残ったとは言えない。仕事と思わずにやれば楽しいことも、仕事と思った途端にしんどくなったりする。そもそも私は今後10年、仕事を続けていけるんだろうか。できれば、そうしなければ食べていけないというような消極的な理由でなく、もう少し積極的に、ストレス少なく仕事を続けていきたい。

 ブログでの私の書くという作業は、完全に仕事に分類されていないので、ここまでのしんどさをはらんでいない。したがって、メディアニュース等の記事と差別化ができているのかもしれません。仕事ではないので、誰からも指示されることもなければオーダーも受けませんからね。個人ブログでこうやって書き続けることのモチベーションはここにあると思います。原稿料、とやった途端に品質を保てるのかどうか。

そういえば、私が小学生だったときに、一度だけ私の書いた読書感想文が担任の先生に目に留まりました。「読書感想文コンクールに出すから清書してこい」と。で、実際その読書感想文というのはけっこう殴り書きで、思い付きでさらさら書いたものだったのですが、これを原稿用紙に清書する段階でずいぶんと推敲しちゃったんですね。そうしたら、「うーんつまらなくなったな」と言われ、結局コンクールにも出されなかった。

そういうことだと思うんですよね。完全に仕事にしたとき、「生きる」という行動の延長線上の「書く」が出てこない。正しく伝えようとするあまり「生きる」が消えちゃうんですよね。

だから、このブログも、校正レベルにしておいて、ほとんど修正なしてすぐアップロードしています。

 

・・で、山本さんの仕事の部分は割愛(このブログは仕事じゃないので)・・

 

 

 「……最後には自分の感覚を信じること。いっぱいあるけど、一番はこれだと思う。文筆って一人で好きにやれるように見えるけど、どうしたってマーケットや読者を意識せざるを得ないし、編集者さんの意見も真摯に受け止めなくちゃいけない。それに、長くやるってことは、変わっていく時代に柔軟に対応していかなくちゃいけないってことでもあるよね。だけど最後の最後には、やっぱり自分の感覚を信じることを大事にしたほうがいい。そうでないと凡庸なものになるし、何より、やってる自分が楽しくないから10年続かない」

 やっぱり、仕事としてやるとしても、何かを続けていくにはパッション、「生きる」ことの延長線上のアウトプットが必要。自分が自分らしく行動することが、評価され価値になることでないと、続けられないということにつながると思います。

だから、仕事にしろ趣味にしろ、自分の適性や得意なこと、もしくは努力しなくても人よりなぜか良くできるもの。そんなことを見つけて、あまり仕事と意識せず、感覚のままアウトプットすること。そういったものって、ここでいうマーケットや読者自身を惹きつけるのではないかと思います。どうしても、存在するマーケットに近づいていこうとするのがマーケティングの王道なのですが、日本全体がその傾向が強まりすぎていると思います。

 

まとめ

自分の感覚に従って、生きることの延長線上にあるアウトプットを繰り返し続けることで、マーケットすら作っちゃう。これが本来の「続けるためるやるべきこと」かなと思います。仕事でも、仕事じゃなくてもあてはまりそうです。