orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

今のAIなど恐れるに足りない。外を歩いて見て聞いて感じよう。一番大事な情報はそこにある。

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AIが流行した2018年

2018年もいよいよフィナーレを迎えようとしていますが、今年を振り返ると本当にAIという言葉が流行しましたね。もしかしたら人間の仕事がAIに取って変わられるかもしれない、そんな強迫観念のもと人間の仕事を振り返る年でもありました。働きづめはおかしい。残業はおかしい。働き方改革。

ただ、AIが今できること、そして2019年にできることを見てみると、本来のAIの定義とは全くかけ離れたものしかできていません。結局はビッグデータに対する傾向分析の結果をインタフェースとして人間っぽく似せただけであり、似て非なるものです。しかも、神羅万象の出来事をビッグデータ化するときに相当な「歯抜け」情報となっていて、アウトプットされるものは非常に貧弱な現象でしかありません。例えば・・

 

japan.zdnet.com

 

ほほう、と思って聞いてみたけど、全くもって音楽になっていません。音楽として存在すべき情報がそこにはありません。それは統計手法がおかしいというよりは、人間に備わっている音楽を親しむ感覚をシミュレートできていないからに過ぎません。

特に、音の分野は非常にAIが弱い部分です。今VTuberって流行していますよね。万象を単純化しアニメーションにする技術を基礎として、人間の動きをリアルタイム計算するのはできるようになったとしても、声を吹き替えるのは人間です。常々、人間と間違うようなAIの音声がそろそろ出てくるんじゃないかと思っているのですが、そこまで技術は追いついていません。アナログの音声をデジタル情報に変える技術は確立しているのですが、デジタルの技術だけでアナログを作るのはまだできないのです。特に音声についてはその傾向が強いです。更に例えるならば、電子ピアノとグランドピアノの違いです。電子ピアノに音声データを入れても、グランドピアノになりません。デジタルにした時点でかなりの情報が抜け落ちてしまうのです。

また、本来の道具というものは、その道具がどういう仕組みで動いているのか知らなくても、使いこなせるものです。例えばテレビは、なぜ映っているのかを知らなくても、皆が見ています。AIはそのようにならなかった。AIエンジニアやデータサイエンティストなど、一部の人にしか扱えない技術として存在しているうちは、道具でもなんでもありません。AIは道具にもなりませんでした。

 

為すべきは、外を歩くこと

ここ最近、私は週に一回(だいたい土曜日)、5時間くらい散歩しています。自宅からスタートして10~15キロくらい歩き、着いた街でおいしいご飯を食べて電車で帰宅するのをもう数か月続けています。

わかったのは、パソコンやスマートフォン、テレビから見えるデジタル世界は、AIと同じくかなり省略されたデジタル情報だということです。同じ景色でも季節ごとに色彩や形を変えるグラフィック、木や葉っぱの音、野鳥の鳴き声、遠くから聞こえる野球少年の掛け声、川の流れる音、車の激しい騒音、空の広さや太陽の暑さ。これらの情報は液晶ディスプレイやスピーカーにはほとんど省略されてしまうということです。

毎回、散歩のたびに新しい発見があり、情報を吟味し、自分にインプットします。それらの情報こそ宝であり、そしてその贅沢な時間に思考し様々なアイデアを咀嚼している間に、情報が整理されていきます。これは散歩の間に代謝が促進され、脳の柔軟性が広がるのだろうと勝手に解釈しています。

インターネットにつながっていると、あたかも世界中を認識できるような錯覚にとらわれてしまいがちですが、単に自宅から十数キロの半径ですら、オープンワールドのゲームどころの情報量ではありません。登場人物もオブジェクトも無限です。そもそも、こんなに休みの日に野球少年が無数にいるとは知りませんでした。日本は野球国家ですよ。テレビだけ見ているとサッカーも並んで人気かなと思っていましたが考えを改めました。そんな情報も目にして初めて気が付くのです。

 

デジタルやAIにできないことが、人間の居場所

今後、AIやRPAなどのオートメーションが、ルーチンワークを大量に奪っていくことは現在進行形ですが、もともとそんなところに人間がはまり込んではいけないと思います。システムエンジニアの一人として、人間が扱っているデジタル情報は世界のほんの一部であることを発したい。人間はデジタルが扱えない大部分を感じることができるし表現することができる。見て聞いて感じることで、感受性を伸ばしアウトプットできる性質が誰にでもあるのです。

デジタル世界がどんなに広がったって、人間の感じる心に勝るデバイスは絶対に今後生まれません。ですから時間があれば、外に出かけることをお勧めします。散歩ごときで世界観が変わること請け合いですよ。