orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「授業って なんだろう…?」に対して反論したい

f:id:orangeitems:20181003214209j:plain

 

私は、授業というスタイルになじめなかった人

学生のときを考えると、授業はほとんど聞かなくって教科書の内容を勝手に読んだり、ぼーっとしたり考え事をしたりしていました。というのは、授業の内容なんて参考書に全部書かれていることだからです。授業で必要なことと言ったら、教科書に書いていないことでテストに出そうな内容をノートに写すことだけでした。本を読んだらわかるのになんで硬い机と椅子に座らせて拘束するのか、かなり理解不能だった記憶を覚えています。

 

それでもおかしい

さて、今日この記事が話題になっていました。

 

togetter.com

「授業って 何だろう…?」 って思った時の漫画。

自分が浮いていることに気づいた話し。

 

漫画にすると、異常に拡散するし、以上に共感を得やすいのを最近感じます。この漫画に出てくる教師を批判するようなコメントもたくさん見ました。

しかし、私はこの内容について賛同できない部分を感じます。

だいたいの学校では、教師1に対し、生徒は40くらいです。1対40のスター型のコミュニケーションパスです。この時、この漫画のように各生徒が理解できない部分や深く知りたい内容を質問したらどうなるでしょう。授業が崩壊します。そもそも授業というスタイルが、双方向性のコミュニケーションを元から否定しているのです。

それではこの授業において、教師は何をミッションとすべきでしょうか。それは、「自習するに当たって、何が重要で優先すべきかをかみ砕いて生徒に伝えること」です。教師は生徒に対してアウトプットし続けるのです。それを40人の生徒が同時に受け取る、つまりインプットすることが非常に効率がいいのです。教師はアウトプットこそ使命であり生徒はインプットこそ使命です。

にもかかわらず、「自分でバツバツ質問して面白い授業にしちゃえ」ということは生徒がクラス全体にインプットすることが目的化しています。多数に対して意見を表明することで何らかの心地よい感情が芽生えるかもしれませんが、それは教師や他の生徒のミッションとの利害とぶつかります。その質問は他の生徒に取っては何の意味もない可能性があります。それを処理する時間が他の生徒にとって害としかならない可能性があるのです。特に高校で学ぶべき範囲は広範で脇道に逸れている暇はありません。また大学受験を真剣に考えている生徒にとっては、一分一秒たりとも無視できないのです。

教師が生徒を無視しているのでも、疲れているのでもありません。また、「質問がある人~」と教師がたまに生徒に問いかけるのは、インプットするばかりだと集中力が途切れるので、インターバルを入れているだけの技術的な話です。

最近は高名な予備校教師の授業を遠隔で受けられる塾があったり、スタディサプリなどスマホで聞くことができる授業などありますが、これは最たるものです。聴いている人は無視されているわけではありません。1対多での授業と言うスタイルにおける最も効率的な方法を追求した結果です。

 

別の場を求めるべき

もし、インタラクティブ/プロアクティブな指導方法が欲しいのであれば、授業という場でそれを望むのではなく、個人指導塾のような別の場であるべきです。例えば音楽系の学校においては個人指導が中心です。それは教師側が生徒の進度や個性に合わせて、アウトプットする情報を大きく変えなければいけないからです。その分授業料も、他の学校の倍します。音楽系の学校の学費は高額な分インタラクティブ/プロアクティブなのです。通常の授業でそれを望んでいるのであれば、場所が違うと思います。もっと費用が掛かる話なのです。授業主体の学校にはそのコストが用意されていません。

一方で、私は「教師の教えるアウトプットよりもっと自分で独学したほうがスマートに勉強できる」と思って授業を半ば放棄し、かつ成績がそれなりに良かったので、先生方からは嫌な生徒だったと思います。したがって、授業形式が万能だとは思っていません。独学だけで高卒取得が取れるのでしたら、それはそれで自分にとっては望ましかったです。しかし、だからといって授業の舞台で授業を否定するような行動をすることが望ましいとは全く思いません。もっとマクロな視点で言えば、何百万の学生を均一に教育するのならやはり授業形式に勝るものは現代でも存在しないのです。

もう一度結論を繰り返します。授業とは、教師にとってはアウトプットの場、生徒に取ってはインプットの場です。

補足ですが、大学に入ってディスカッション形式の授業も体験した記憶があります。もちろん生徒に取ってはアウトプットの場となり、「楽しい」のですが、結局のところ自分からのアウトプットは自分の学びにはなりません。そこだけはまどろっこしかったです。ただし、他人の意見を知ることができるというところで言えば学びになりました。しかし、「大量の知識をスマートに吸収する」ということを教師がリードするという授業と比べると、スマートではない部分も感じました。教育としては良く、学習としては効率が悪い・・・。まあだから大学生には有り余る時間が与えらえたのですが、私は勘違いして自習はあまりせず、大いに遊んでしまいました(それはそれで勉強にはなったけれども)。

一方で、インプットするばかりの人間になるのでは教育としては不完全なので、課外活動や学級会など、自主性を伸ばす場面も学校はうまく作っています。授業とはメリハリをつけて学校に参加するのが現在の学校制度と言えると思います。

人をいじめる、のは決していけないですが、闇雲に教師や同級生のヘイトを買って、人間関係のイザコザに巻き込まれるのは得策ではないと思います。私は冒頭のように授業が嫌いだったので、黙って独学してました。 

 

社会に出たらいくらでも

社会に出て仕事をするようになれば、今度は逆に、インタラクティブ/プロアクティブが求められます。それは「面白い」のためではなく、自分自身がアウトプットしないと仕事にならないからです。しかしアウトプットするためには知識が必要ですから、学校ではできるだけインプットしておくのが良いと、社会人の今になって思います。よく言われる「ああ勉強しておけばよかった」ってやつです。

従って、授業は「教師からアウトプットを受け取り自分にインプットする場」と割り切り、課外授業や部活動で発散しつつ、社会に出て活躍することが最もスマートだと、私は思います。

 

 

ハーバードの人生を変える授業