orangeitems’s diary

クラウドではたらくエンジニアの日々の感想です。

どうすれば幸せでいられるかについて

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希望

人が生きるためには、「希望」が必要だと思う。

希望とは、今がもっと良くなるという想像であり、かつ現実的でないといけない。

宝くじを買ってこれを希望という人がいたら、きっと絶望も感じるだろう。だから宝くじは妄想を楽しむものであって、決して希望とは呼ばない。希望は現実的であるからこそ良いのだ。

もっと良くなることが希望、と言っている以上はこの概念が相対的であることがわかる。世の中で活躍していたとしても、お金持ちでも、現状と変わらない場合は希望がないのと同じだ。逆に今活躍できなくても、明日活躍できる見込みがあるのであれば、よっぽどこちらのほうが希望を感じられる。

どんなに恵まれていても希望が感じられない人も入れば、諸条件に関わらず希望を強く感じている人もいる。

このどれぐらい希望を感じられるか、を幸福度と呼べば理解しやすい。幸福度は人に寄りけりである。おそらくお金持ちが幸福そうに見えるのは、今の自分がそうなったらもっと良くなるというフィルターをかけて見ているからだと思う。お金持ちにはお金持ちの悩みがあって、しかも現状より良くなる感じがしなければ、彼らも希望を感じていない、つまり幸福度は並かもしれない。

よく、お金持ちが、ありもしない投資話に乗っかって不幸な目にあう、というトピックを見ることがある。あれはきっと、希望が欲しいんだと思う。一般庶民からすれば、なぜ今既にお金持ちなのに、そんなにリスキーな話に乗っかってしまうんだろう。もうそれだけ資産があれば働かなくても優雅に生活できるのでは。これというのは、実はお金持ちにとっては、今がピークでもうここから良くなることはない、希望がない、むしろこれを絶望と呼ぶのだろう。

人間が生きるということは、希望という燃料を探し求めるということであって、ただしより良いというのは相対的であり、人によって価値観も大きく違うので、お金だけで測れない。そんな曖昧だが明確なセンサーが人間に備わっていて、時間の流れのなかで幸福度を上げようとするのが生きていくということだと思う。

 

飽き

さて、幸福度について最も留意しなければいけない点がある。「飽き」だ。

例えば仕事は好きなことをやるべきだ論というのがある。仕事は人生の大部分であるから、好きなことを仕事にした方がいいという話だ。これはもっともらしいのだが、好きであるというのは一つの状態であり、どんなに好きでもその感動はやがて鈍くなっていく。これこそ飽き、と言う状態である。どんなにドラクエが好きでもドラクエばっかりやっていたら飽きる。人は「好きだ」という思いを永遠にしがちだが、残酷なことに「飽き」は確実に備わっていて、同じことを続けると確実に鈍化していく。好きなことを仕事にすると永遠に幸福でいられるかというと、それは違うと思う。その仕事を変化させていかないと飽きが待っている。したがって、好きとか嫌いだけで仕事を選ぶのは大変危険なことだと思う。大事なのは、時間とともにより良くなっていく要素があるかどうか。それが大事だと思う。希望を持ち続けられるかどうか。自分に向いている分野であり、かつその分野が今後社会の中で十分な価値が保たれるのであれば、希望を持ち続けられるだろう。

仕事だけではない。結婚というイベントも近い。好きだから結婚する。結婚するまでは持続するがそこから家庭を築き、長い間共同生活に入る。好きという感情が何十年と同じレベルで続くかというとそうではないと思う。むしろ尊敬や信頼のような分野を育てることの方が継続のエンジンになると思う。この結婚生活の幸福度を高めるためには、同じように希望が大事だ。子供を持つということはたやすく希望を感じられるイベントであると思う。子供は成長していく。希望の具現化であって、もちろん子供がいない家庭も違う手段はあるが、外形的には最もわかりやすいイベントであると思う。ただし、子供がある程度大きくなって自律的に成長していくようにようになると、親は子供に関与する割合が減っていくため、楽しみではあれ自分自身の希望にはならなくなっていく。このように子供がいれば家庭の中で自分の中で希望が永遠に持っていられるかといえば、そうとも言えない。

このように、仕事であれ家庭であれ、同じ状態がずっと続くことは希望を生まない。毎日平常に暮らせることが幸せなのだと感じさせるために、ニュースは暗い話題を繰り返し流してくれるが、根源的には自分自身がより良くなるということを感じるための何らかの行動が必要だということが、重要であると思う。相対的に恵まれている、と言う情報によって幸福度を維持するのは根本的には希望と呼ばないと思う。

 

行動

立ち止まっていては、幸福度が下がっていく。

もちろん動き出すことで、かえって悪いことが待っているかもしれない。これをリスクと呼び、世の中の情報はリスクマネジメントであふれていると思う。これをやるとこれが危ない、したがって今はインターネットの情報は「ユーザーレビュー」ばかりだ。これだけユーザーレビューの情報が多いと、何もできなくなってがんじがらめになっている人も多いと思う。今だって恵まれているから、何かして悪くなるのが嫌だ。これは全面的に正しいのだが、一方で、希望がない。希望がない状態は、幸福度を下げる。

きっと、なぜ自分は一般的には恵まれているはずなのに、こんなに幸せを感じられないのだろうという人は、たくさんいるのではないか。

それは、立ち止まっているからだと思う。手に入れた現状がいくら客観的により良いものでも、希望が必要だ。希望を手に入れるために、何か変化を作り出すような行動が必要だと思う。そしてその行動で何か手に入れたとしても、そこからまた行動していかないと、再度立ち止まってしまう。このように、絶えず変化を求め、絶えず動き続けていく姿勢こそ、幸福度を維持し、希望を持ち続けるための基盤となると思う。

 

 

まとめ

かなり抽象的なことを書いてしまいましたが、何となく最近、外部環境に自分の不幸の原因を求める記事を多く見かけるので、私が思っていることをまとめさせていただきました。不幸とは希望がない状態だと思います。希望を見出すためにはどんな行動をしたらよいのか、全ては個人的な問題であるために普遍的には書けないのですが、まずは自分の知らない分野に飛び込んで楽しめるかどうか試してみるのが大事だと思います。行動するかどうかは自分でコントロールできるはずです。失敗したらまた別の物に手を出せばいいわけで。そしてリスクもあるのでそこは自分で責任をもつしかないのでしょう。そうやって、希望を探し続けるのが、生きることだと私は解釈しています。

あまりにも、インターネットにおいては、他人の情報がたくさん見えるようになってしまったために、比較して自分を不幸と決めてしまうことが多くなっているように見受けられます。しかし、このように、希望とは今の自分との比較によってなりたっているため、誰でも希望を感じることは可能だと思います。 一人一人が、個々人の環境に関わらず希望を持ち続けることが広がっていけば、社会はもっとより良くなっていくだろうと思います。

 

 

 

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完訳 7つの習慣 人格主義の回復