orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「潜伏キリシタンの歴史 世界遺産へ」感想文

f:id:orangeitems:20180624153603j:plain

 

NHK総合を見ています。

 

あの日 あのとき あの番組「潜伏キリシタンの歴史 世界遺産へ」

 

1979年の番組です。熊本県天草地方、特に西海岸が舞台となっています。

 

私は幼少のとき、15年くらい熊本県天草地方におりました。この放送が流れているころには生活していたことになります。

 

1979年の映像だというのに、輪郭はほとんど変わっていません。都市化していかずそのまま過疎化していったから建物は手を付けられずそのまま古くなっていったということですね。一方で、すべてが新しい。そしてたくさんの人がいる。私の古い記憶の「田舎」でした。田舎なのにたくさんの人がいて、わいわいしている。私はそれが苦手で都会に居ついてしまったのですが、皮肉な話で、田舎に帰ってももうあの、わいわいした田舎は無くなっています。道ばかりが新しくなっていて、街としては衰退する一方です。いろいろなイベントも人口減で無くなっていて活気がありません。そして形だけが残っているのが今の状況です。おそらくあと30年くらい建つと、町は残念ながら無くなってしまうのだと思います。それぐらい落差のある映像でした。

例えるなら、過疎ったオンラインゲーム・・ですかね。全盛期はサーバーに接続するのも大変でつないだらたくさんのキャラクターであふれていたのが、今つなぐと人ひとりいるかいないか・・、ただ現実は、建物が古くなっているのでもっと悲惨で現実的な感じです。高齢者がまだ細々と守っている建物たちも、あと30年もすれば誰もいなくなっていくのは不可避だと思います。

 

未来へタイムスリップすると、近未来的な建物に囲まれたSFのような空間が現れる・・。これは成長する都市の場合なんですね。過疎化していく町の場合は、単に古くなるだけで更地に戻っていくだけです。後者の場合は、逆に過去に行った方が、建物が新しくなりたくさんの人がいる。この感覚は少なくとも40年は生きないとわからない感覚です。1979年の番組に対して、実際にそこにいた、と言える事実は価値があることだと思います。その対価は「タイムスリップしたらどういう体験となるか」を身をもって語ることができる権利です。

 

番組中では、学校を卒業して都会に行った人達がお盆に帰省し、親戚一同が集まり宴会をする場面が流れていました。海が近いのでお刺身が中心で、子供もいるのでジュースもあったと思います。そこでおじいさんおばあさんが、子供のころはああだっただの期待しているだのなんだのマシンガントークをして話し続ける。これには相当記憶があって、大人になると年に何回か親戚が集まり、数時間お酒を飲みながらわーわーやらなければならない、と子供心に刷り込まれたものでした。昔はもっと家族という単位が大きかった気がします。遠い親戚から何から個人情報が筒抜けだった気がします。どこの誰がどこで働いてるとか息子がどこの学校行ってるとか成績がいいとか悪いとか、その共有する単位はどこか今の家族と呼ばれている集団よりは全然大きかったです。知らない人に話しかけられた、あなたは・・の家の子で、すごく・・ができるんでしょ、すごいね、とか言われて「知らんがな」って思ったこと数度。

 

私の思った、「大人の世界」というものはいつの間にか消失していて、今の「大人の世界」を支えているのですが、きっと、きっと、今の子供たちが大人になるころは、今の大人の世界も無くなっているんだと思います。

だから、我々大人が、子供たちにこうしたほうがいいぞ、というものについて事細かな部分についてはきっと、大人になったころには陳腐化しているに違いないと思いました。多分大事な幹の部分は昔から変わっていないと思うので、重要だと思う部分を伝えたら、後はうつろいゆく世界に自分の頭で考えて一番よく行動しなさい、としか言えないし言っちゃいけないんだろうなと思いました。

 

あのころから起こった変化って、インターネットが語られやすいと思うのですが、まだだまだ最近の変化です。地元に残っても仕事が無かったことが切々と続き、細々と若者が都会に出て、帰省はしつつも地元には戻らない。そんなことの連続でどんどん人口が減っていった。私もその流れを継いだ一人です。都会の方が仕事に困らないし、うるさい親戚もいないし、給料も高いし、いろんな設備もあるし・・。インターネットがあろうがなかろうがこの現実的な理由が覆らない限り、地方創生だなんだ言ってもみな人ごとです。都会へ行く交通が整備され、テレビは都会を写し、インターネットで都会の情報は瞬時に田舎にも入ってくるので、そりゃあ田舎から都会への一方通行だよなあと思います。子供が育つ環境としては最高だったんですけどね・・。

 

あの頃の天草地方が成長したのは、漁業が盛んで、かつ戦時中に大量に疎開民がやってきたからという事情もあり、そこまで大きな産業構造の変化がなければ、多少お金を地方に配ったってどうにもなるもんでもないようなあ、と思った日曜の午後でした。